OBASAN・化

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少し夜中テンションでハイになってしまった。落ち着いて、ここでひとつの持論を展開してみたいと思う。(只今朝の6:00) オバサンとは、一体どう定義付けられる存在だろうか。 年齢? 見た目? 話し方? それは全て正解で、また「違う」と反論できる要素でもある。 「○○歳過ぎたらオバサン!!」と言う声は明確な判断基準だし、確かに人は老いからは逃れられない。 だが最近の女性を見てみると、年齢に対しての見た目も気持ちの持ち方も若いと感じる人が多いと思う。何もそれは持ち上げていっているのではなく、実感として、だ。女の自分が言っても説得力に欠けるが(笑) (もともと日本人には童顔が多いけどね) では、もっと分かりやすく、自分自身納得して「オバサンになったなぁ」と思う時はいつか? それは、ずばり『諦めた瞬間』から始まるのだと思う。 諦める理由としては、様々あるのだろう。 時間がない。お金がない。必要がない。 故に、 オシャレを諦める。恋愛を諦める。笑顔を諦める。キレイを諦める。 諦めるのは、『女』である生き方に背を向けるということだ。もちろん、可愛い服を着てメイクして、髪をいじるだけが女の人生ではない。 でも、スカートをはくことも高い華奢なヒールの靴をはくことも、レースがいっぱいついた服やメイク道具などは女性の“特権”だ。権利なのだ。それを放棄するのは、諸々事情があるとはいえ、すごくもったいないことではないだろうか? (ニューハーフさんたちは、今回のお話には含まれません。すみません。その話はまた今度) 私自身、そういうキラキラしたものとは無縁の生活を送っていた。調理師だったから、そこは完全に男の世界であった。女のそういうナヨッとした部分を出していたら、仕事にならない。 でも、仕事をして、自由にお金が使えるようになってから、私の『女』としての人生は大変革を遂げたのである。
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