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それに、一階で給仕婦を助けていた時も、兄は僕に声をかけたのではなく、僕の後ろにいた腕を負傷した女子に対して声をかけていたのではないだろうか。
『この敷地に住んでいるみんなが……何かを失っている』
不意に片山教員の口にした言葉が脳裏に走る。
僕は美藤との一件以来、それがずっと声だと思っていた。会話をすることができないのだ。普通そう思うだろう。
「あ……あ……」
けれど、違っていた。
僕が失っていたものは、声なんて生易しいものなんかではなかったのだ。
片山教員が階段にいた理由。
それは、何も奪われていない他の誰かを傷つける為だと僕は結論づけた。
だとしたら、最初に会ったとき、彼は襲わなくてはいけないはず。何も失っていない僕を。
それをあの人はしなかった。
僕が声を失ったことを気づいたから?
いや、違うだろう。だとしたら、片山教員はいうはずだ、「君は声を失ったのか」と。
それを彼が口にしなかったのは、僕が見えていなかったから。
誰も僕を認識していなかった。
つまり、僕が失ったのは――――
『存在』そのもの。
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