堕の章 桐谷 涼太

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「待て! 待ってくれ!! 何も思い出せないんだっ!! 何でこんな所にいるのかも、何でこんなことになっているのかも分からない!! 俺の体には悪い所なんて何処にも無いんだ!! だから頼む、一之瀬!! 頼むからそのメスをどけてくれっ!!」 突如、そう叫んだ青年の手がすうっとメスに向かい伸びていく。 これには本人も驚いたのか、一層白目を剥き出しにし異常なまでの動揺を露わにした。 「……嘘、だろ!? ……て、手が、勝手に!!?」 額から噴き出す夥しいまでの焦り。 着ていたはずのシャツは剥ぎ取られ上半身は裸。 冷房が効いているこの手術室は少女の顔色ほどに涼しく、肌寒く感じることはあっても、決して額に汗が滲むような温度では無かった。 しかし、その意思に反し、払い除けたいこの状況に反し、男は差し出されたメスを握り締める。 「手が! 手がああぁぁっ!!」 少女はすうっと腕を引いた。 そして、感情を含まない冷めた目で見下ろす。 「――これはあなたが望んだこと。私はただキーワードを口にしただけ」 「キ、キーワード!?」 「――ええ。十二秒の言霊」 天井からそよぐひんやりとした風が、彼女の長い黒髪を揺らした。 「言霊!? 何だよ、それ……!!」  
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