堕の章 桐谷 涼太

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一之瀬 紗羅、その名前もまた記憶しているものだった。 一度だけ消しゴムを貸してあげたことがある。でも、あり得ない……。 「彼女にやられたって……。どう考えたってキミの方が強いだろう? それに、その心臓はキミのじゃない。もしキミの物であれば今こうして話している現実に矛盾が生じてしまう」 心臓を失った人間は生きられない。そんなことは今時の小学生でも知っている。 「見つかったら終わりだ! 何処か遠くへ、遠くへ逃げないとっ!!」 岩渕は一切の聞く耳など持たず、そう叫びながら俺を突き飛ばすと、左手にビンを握り、はだけたワイシャツのボタンを締めることもせずに立ち上がった。 「――!!」 その瞬間、この目に信じられないものが飛び込んでくる。 「……そ、その胸!!」 露わになった胸元。ワイシャツの隙間には刃物で切られたような痕があった。 鎖骨の下からへその上まで、荒々しく引かれた一本の線。傷口を塞ぐ為に何重にも縫い付けられた太い糸。 「ほ、本当に心臓を……?」 おかしいのは分かっている。もしあれが岩渕の心臓であれば、彼は今生きているはずがないから。 ――でも……じゃあ一体あれは誰の心臓なんだ!?
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