炭の章 山本 愛子

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しかし、突然、何の予告も無く、ふと。奇妙な疑問が浮かんで来た。 ──ところで、私は一体誰なんだろう 断片的に何かを思い出しそうにはなるけれど、思い出そうとした瞬間何かが邪魔をする。 ──そう。 「ああ、喉が乾いた」 例えば、そんな欲求が。 ガタ!!ガタン!!! 今度は何かを破壊するかの様な大きな音が響き、反射的に立ち上がって玄関に続く通路を見る。すると。 「……あら」 玄関への廊下からは、血だらけの男がまるで匍匐前進するような動きでにじり寄って来ていた。 巨大な観葉植物の鉢が倒れていて、男はそれを越えようと震えながらも動いている。 「お……ま、え ころ す 俺 の、──を、ころ した」 私の心は一寸も乱れる事は無い。 ──殺す? 私を? 男は口から血を吐き出しながら、焦点の合わない目で必死に私の姿を捉えている。 「ねえ、私は誰?」 「ふ ざ るな……」 男は立ち上がろうとダイニングテーブルへ捕まるけれど、二人用の不安定で安っぽい折りたたみ式テーブルはいとも簡単にバランスを崩し、男と共に、派手な音を立てて転倒した。  
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