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……。どんなふうに読めるのか、ね。
君はこんな話に突っかかってきてくれるのか。
なんとも嬉しい限りだよ。
どうと聞かれたら、そうだな。
文字が頭に流れ込んでくるというか。
流れ込んできた文字が視界に浮かんでいる、というのか。
感覚的なものに近いこともあって、これは体験してみないと。
なかなか説明が難しい。
まあ、確かに言えるのは。
心にはその本人のそれまでの全て、過去の記憶までもが記されていて、まるで本のようさ。
短時間ではまず読みきれないほど分厚いね。
興味深い思想をもった人物だとか、壮絶な日々を生き抜いてきたとか。
少し読みにくいが、とても面白い。
と、長々と説明していてなんだが、実のところぼくはまだ数人ほどの心しか読んでいない。
それくらい条件が厳しいんだ。
その条件を見つけるのもね。
いや、こんな話はどうでもいいんだ。
さて本題さ。
君にとって本とはなんだい?
ぼくにとっては心さ。
▲▽▲
ぼくは子供の頃から感情の起伏というものが皆無でね。
いまだに自らの喜ぶ、怒る、哀しむ、楽しむという感情の違いがよくわかっていない。
だから、人から学ぼうとしたんだ。
本というものを介して。
成功、かどうかは怪しいね。
だって自分の体験したことではまったくもって感情は動きを見せないから。
でも、少なくとも本の中だけでは、怒ったり泣いたり笑ったりすることができた。
初めて本気で怒ったのは、名も無きサーカス団の話。実は彼ら怪盗の集団なんだけど、彼らを襲った最低で下衆な聖職者には本当に腹が立った。
腹の底から笑ったのは太ったハーレーという男性のエッセイ。
彼の人生観と女運の無さには笑いすぎて腹筋を鍛える必要がなくなった。
そして初めて涙を流したのがこの日記。
九の魔人と叫ぶ者。とでも呼ぼうか。
あんなに心が苦しかったのは初めてだったよ。
苦しすぎて死んでしまうかと思ったほどさ。
ぼくの心に感情を生み出す。
それくらい、本に綴られた文字に込められた力は大きい。
本とは、感情の複写、精神の一部。
つまりは心。それを読んでいるのと何ら変わりはしないのさ。
本とは人の心。人の心も本のよう。
それでね、ぼくはその文字に込められた心を人に見せることができる。
どうやって?
すぐにわかるよ。
▲▽▲
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