雨の師匠

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その人は《雨の師匠》と呼ばれていた。 別に雨のその表現の仕方がうまいと言う訳ではない。もちろん下手では無いが、別にずば抜けているわけではない。 うまい方。だけど、引き込む不思議な力があった。 他の理由としては、雨が出てこない噺でもなんと雨を勝手に降らせたりしたからと言われているが、実は単なる雨男なだけだったりする。 師匠が落語を始めると、その辺りに雨が降りはじめるのはもちろん、遠く離れた知り合いは雨に遭遇し、ひどい目に合う。 「師匠、昨日夕方高座上がりましたね。私、横浜にいたんですが雨の気配もないのに一発やられまして。買ったばかりの本びしょ濡れでした」 「はははは、ご愁傷さま」 そんな会話は、よくある事だ。 馬鈴生京陽は落語家歴40年のベテランだった。 師匠が師匠の師匠の門を叩いたのが14歳の時だと言うからすごい。 ごわごわでうまく白と黒の入り交じった癖のある髪を少し整え、いつもの着物を着せてお囃子が鳴って高座に向かう。 座って扇子を置いて「えぇ」と深く濁った声を出す。 そこは変な声だけど、ちゃんと噺に入るとふんわりと語り始める。 たいてい軽やかな小噺から入って、にっこり笑って本題に入る。 必要ない雨の表現だけには疑問を持ちながらも、落語に対する想いが噺を通して伝わってくる落語をする。 そんな所が僕を師匠の元へ向かわせる理由になったのは間違いなかった。
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