【17】タクシー運転手

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   運転手は、なおも話し続けた。  「昔はねぇ、こんなことは考えもしなかったんです。旦那がいない間、妻が家を守るのは当然だと思っていて。 でも、歳をとるうちにこうして自分が安心して仕事に打ち込めるのはすべて彼女のおかげなんだと気づきました。子どもが大きくなって家を出て、夫婦二人になったときに初めて彼女が今までひとりで頑張ってきたことに気づいたんです。」  私は、ただ小さく相づちを打ちながらそのまま話を聞き続けた。  「…若いうちってねぇ、お互いがむしゃらにやってるからつい相手のことまで気が回らないものですよ。僕は仕事で気が回らなかった。彼女は子育てと家のことで気が回らなかった。昔はそれでよくケンカもしましたよ、ははっ。」  ………。  この話を。  できればさっきまで一緒にいたママ友にもぜひ聞いてほしかったなぁ…  飲み会の度に、毎回思うことがある。  お酒が進むと自然と話は日頃の愚痴や不満が漏れてしまうもの。  その中で家族や旦那の悪口も話題としてあがるのは仕方がないようにも思えるが、この場だけで済まない夫婦もいるだろう…。    人は自分が思うほど完璧ではない。  出逢った頃のようにとまではいかないだろうが、相手に求める前に自分はそれ相応の態度を示しているのか。  運転手が言うように、自分のことで精一杯になると、近くにある大切なものほど見失いがちになるのかもしれない。  そんなことを考えている間もタクシー運転手は話しを続ける。  「今度はどこに行くって言ってたかなぁ。もう毎月のように旅行を楽しんでる人ですから。日光、伊豆、萩、枕崎…。今は彼女のみやげ話を聞くのが私の日課になってますよ。」   タクシー運転手が、妻のことを『奥さん』と言ったのは最初だけで、その後はずっと『彼女』と、言っている。  それだけで、今話しているこの瞬間もきっと本当に相手のことを想いながら話しているのだろうなと思った。
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