【19】追われる男

8/24
前へ
/212ページ
次へ
   不穏な空気を早々に断ち切りたかった。  デスクの前の電話に手を伸ばし、営業部へ内線を入れる。  「すみません、No.1の車は本日どなかたか使われますか?今のところ空いてるんですが。 ─はい、分かりました。ありがとうございます」  電話を切って足立さんの傍まで行く。  「1号車が空いてるので使ってください。もしかしたら現場の者が気づかず乗って行ったのかもしれません。すみませんでした」  軽く頭を下げる。  別に謝る必要はないのだろうが、気を静めてもらうためにも一言詫びを入れる。  これから顧客と会うのだ。  苛々していると、どんなにスイッチを切り替えたつもりでいても気づかぬところで表情や態度、言葉として出てしまうものだ。  まあ、営業経験のない私が心配することでもないのだけれど…。  なんたって周りに期待をかけられた男なのだ。そこはうまくやるんだろうが。  足立さんは鼻で大きく溜息を吐くと、 黙ってNo.1のキーを掴んで足早に事務所を後にした。  ガチャン  ドアが閉まった瞬間、沈黙から一斉にざわざわと周りが騒がしくなる。  そんな状況に面倒くささを感じながら、ホワイトボードの予定表に記された数字を3から1へ書き直す。  マーカーを置いてしばらく彼の字を見つめた。  きっちり角を取った隙のない字である。  ″余裕″ ないんじゃ?  漠然とした思考で自分のデスクへ戻る。  しばらくすればざわつきも収まり、何事もなかったかのように事務所はいつもの雰囲気を取り戻した。  
/212ページ

最初のコメントを投稿しよう!

44人が本棚に入れています
本棚に追加