ディライト中で(いかにして震災を生き抜いたか)

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「それは確かに行政の行き違いもあるんでは、うちの目の前の一級河川デ津波に押されて車やタイヤホイルなど流れて来ましたが、全部国の一時的に所有物になると思います。」 「あの時は3月と言っても陽は長くなっても電気は来ない、夜は寒い本当に昼間だけの勝負だったよ。」 ボランティアだけでなく自衛隊、警察、救急隊なども他県からの応援があったが季節的には夜も徹っての作業はなかった。 行方不明者の捜索、瓦礫の撤去などの作業はほとんどが昼間のディライトの中で行われた。 さらに奥様は話てくれた。 「この仮説住宅で家や車だけでなく船も流された人もいるけど前のような裕福な暮らしは望んでいない、1日も早い漁の再開だけ。 そのために次の日から瓦礫拾いや家の解体現場で働いた人もいる。」 「そうでしょうね、特に家を新築してそれが津波で流されたのでは。」 「3月では年度変わりの時期,これではお役所なとも更に困るのでは。」 「税収が減るでしょう、車、家屋の流失では当然です。」 「もうじき息子が来ます、しばらくぶりに会ってお酒でも飲みながら。」
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