ディライト中で(いかにして震災を生き抜いたか)

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2011 3.11 pm2.46 マグニテュード9 震源地は東北の太平洋沖、その後、発生した巨大津波で東北の沿岸部の町は壊滅状態に落ちる所が多く今でも遠く離れた町で生活を送る人も多い。 沿岸部に住んでいた夫婦の話。 震災から二年後、私は知り合いの夫婦に会うため仮設住宅を訪れた。 避難所の中は長引く避難生活でくたびれた人が多く知り合いの夫婦も例外ではなかった。 「お元気ですか。」 「はい何とか。」 ご主人は疲れた様子で奥様としか話が出来なかった。 「差し入れを持って来ました。」 「いつもありがとうございます。」 「そんなことはありません、今てないとお二人には恩返し出来ません。」 私は奥様に手土産を渡した、その後ご主人のところに案内してくれた。 「大変ご無沙汰してます、この度は大変だったでしょう。」 ご主人は地震のショックで半分寝たきりだった。 「これはよく来てくれました。」 「津波で町全体ほとんど流されましたから。」 「あのとき、地震の後はこいつと一緒に娘夫婦の孫たちが心配で家をでたから助かったんだ。」 「今までにない巨大津波で亡くなれた方も多く、あの時は川に車まで流され ましたからね。」
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