入らない天才

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彰久は自分の能力には、多少の自信はあった。本来の予定では、長野県内の名門校で、野球をやっているはずだった。 だが、現状はそれとは真逆の、故郷福岡県の弱小校である明林にいる。 彰久の先入観だけでものを見てしまったことと、環境を含めた運の悪さがその原因だ。 彰久は転校した先で頑張って、自らをもっと磨いていこうと決意し、あえて中学校の軟式野球部に入った。 だが、上手くなりたくて必死に練習している彰久に対し、周囲は遊びで野球をやってるような、あまり野球に真剣ではない選手ばかりだった。 その温度差のせいで、部員たちと馴染めず、常に衝突していた。 当然チームが強くなるはずもなく、三年間練習試合を含めてたった一勝をすることも出来ないまでに、チームは弱体化していった。 それどころか、三年間で身体能力以外がと、小学校の時からレベルアップできていないという、最悪の事態に陥っていた。 それでも、この最悪の三年間は水に流して県内の名門校に行って、そこからまた頑張って強くなろうと思っていた矢先、今度は親の都合で故郷へ戻ってくる事になったのだ。 この地区の高校を調べると、過去の実績から名門と呼べる高校はあったが、当時のその高校の成績に、その面影は一切感じられなかった。 そのため、弱い事を承知の上で明林を選んで、僅かな希望にかけ毎日毎日必死に練習した。 その結果、彰久は弱小校とはいえ夏の大会の四番を任され、本塁打を記録するなど、確実に成長はした。 だが、彰久は面影はないと考えて切り捨てた名門校の監督の名前を全く調べていなかった。 その監督が就任するやいなや見違えるように強くなり、夏の県大会ではここ五年間では最高のベスト八に入った。 それだけに留まらず、秋の県大会、九州大会を勝ち上がり春の全国大会であるセンバツに出場し、これもまたベスト八に入る強豪チームに復活した。 先入観と自分の進路決めてしまった後悔に苛まれた。 だが後悔しても始まらないと気持ちを引きずらずにここまで頑張り、中学時代よりはずいぶんとレベルアップできた気がしていた。 しかし、彰久には全く満足出来るものではなく、そのくらいでは自分の目標に近づくことすらままならないと常日頃から感じていた。
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