譚ノ參 陰鬱なる罠

5/11
前へ
/163ページ
次へ
晟雅は晟雅で、せねばならぬことを抱えた身である。 紫翳を案ずる気持ちはあっても、なかなか様子を見に行く時間がない。 「……分からぬものだな。宇山晟雅よ、何ゆえ貴様は、そうも紫翳の身を案じる?」 「紫翳から聞いていないなら、俺から語るつもりはないし、紫翳から聞いていることがあるなら、それ以上を語るつもりはない」 「……主」 乾がそっと咎める。 要するに語る気はないのだと、皮肉を籠めた言い方をしたせいだ。 「蜥蜴。正直に言って、俺はお前を信用していない。会って間もない奴に言うことではないが、これは本音だ」 「さもあろう」 蜥蜴がうっそりと笑う。 「我は冥{くら}に魂を置く存在。お前の懸念するように、その気になれば、容易く紫翳をこちら側へ引き寄せることもできる。冥の底には華が開{ひら}いている。あれに囚われれば、紫翳は瞬く間に闇に染まるだろう。そして我なれば、紫翳をあの華に近づけるは雑作もないこと。 「冥に生ける者もまた、紫翳を疎んじ、忌み嫌っている。あの男は、我らが静けき冥を乱した。あれが厄災だ」 晟雅は無言で蜥蜴を睨んだ。 真っ向から冥の眼を睥睨する命知らずなど、まずいない。 紫翳がそうできるのは、彼が冥に魂の半分を置いているからに他ならない。 「あの男は人にあらず。また、魔にもあらず。人とは本来、陽と陰を併せ持ち、陰陽師はその均衡を保ち、また操{く}る。それ故、あの男の陰に傾き過ぎた魂は、いつでもあの男を冥に引きずり込めるのだ。あれの危うさは、冥の底に咲く華には何よりの餌{え}よ。 「宇山晟雅よ。それでも尚、貴様はあの男を案ずるか?」 冥の底に咲く、大輪の華。 見たことはないが、それは甘い甘い蜜を滴らせる、美しい華だと聞いている。 芳{かぐわ}しい芳香は、人も鬼も引き寄せる、死の誘惑。
/163ページ

最初のコメントを投稿しよう!

29人が本棚に入れています
本棚に追加