占守島の戦い

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18日16時は、停戦時間であったがなおもソ連軍上陸部隊(狙撃連隊2個と海軍歩兵大隊)は、日本軍に対して攻撃を仕掛け、艦隊とロパトカ岬からの砲撃も手伝い、幅4km、深さ5~6kmにわたって橋頭堡を確保した。すでに反撃行動を停止していた日本軍は、無用の損害を避けるため後退した。ソ連軍航空部隊は間欠的に夜間爆撃を行った。ソ連軍の重砲・自動車など重量のある貨物の荷降ろしが完了したのは、翌日に日本側沿岸拠点に停戦命令が届き、その砲撃が無くなってからだった。 停戦交渉 第91師団司令部は、反撃を命じた当初から軍使派遣を考えており、18日15時、日本側は長島厚大尉を軍使として随員2名と護衛兵10名を付け、停戦交渉のため濃霧の中を派遣した。途中から長島大尉が単独で進んだが、ソ連軍に拘束されてしまい、両軍の連絡は確立されなかった。 このため、翌19日朝、山田秀雄大尉らの新たな軍使を派遣し、今度は接触を確認できた。しかし、ソ連側は日本側の最高指揮官の出頭を要求して交渉に応じなかったため、柳岡師団参謀長や歩兵第73旅団長の杉野少将らが3度目の軍使として送られた。会談でソ連側は、停戦のみでなく武装解除などを要求し、日本側軍使は最終的にこれに同意した。報告を受けた堤師団長は、停戦以外の武装解除などについては授権していないとして、柳岡参謀長を再派遣し、交渉を行わせた。 幌筵海峡での海戦 翌20日8時10分、片岡湾を目指すソ連艦隊6隻が幌筵海峡に進入を試みた。ソ連艦隊を発見した日本海軍第51警備隊の幌筵島潮見崎砲台は、高角砲により進路上への警告射撃を行った。これに対してソ連艦隊は一斉に砲撃を開始し、戦闘状態となった。日本側の砲台が応戦し、さらに艦攻2機を離陸させて威嚇飛行を行わせたため、ソ連艦隊は煙幕を展開して退却した。ソ連軍は、敷設艦「オホーツク」が戦死2人、負傷13人の損害を受けるなどした。 ソ連側は、海峡への進入は前日の停戦合意に基づく行為であったと主張し、日本軍の行為を停戦合意を無視した奇襲攻撃だとしている。 停戦と降伏 20日、地上でも戦闘は再開した。ソ連側は、幌筵海峡での日本側の背信があったため、攻撃に移ったとしている。 20日夕、堤師団長は軍使を通じてソ連軍に降伏することを確約したが、その後も、武装解除を遅らせようとした。
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