占守島の戦い

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ソビエト連邦 1945年8月15日、極東ソビエト軍総司令官アレクサンドル・ヴァシレフスキー元帥は、第二極東方面軍司令部(司令官:マクシム・プルカエフ上級大将)と太平洋艦隊司令部(司令官:イワン・ユマシェフ大将)に対し、千島列島北部の占領に関する作戦の準備及び実施を命令した。 参加兵力は以下のとおり。 陸軍(8363人) カムチャツカ防衛区(司令官:アレクセイ・グネチコ少将) 第101狙撃師団(師団長:ポルフィリー・ヂヤコフ少将) 第198狙撃連隊 第5独立狙撃大隊 第7独立狙撃大隊ほか 海軍ペトロパブロフスク海軍基地(司令官:ドミトリー・ポノマリョフ海軍大佐) 警備艦2隻、機雷敷設艦1隻、掃海艇4隻、輸送艦14隻、上陸用舟艇16隻など計54隻。海軍歩兵1個大隊。 航空部隊(計78機) 陸軍第128混成飛行師団 海軍飛行連隊1個 戦闘経過 上陸前の戦闘 8月12日に、アメリカ艦隊が幌筵島などの北千島一帯に砲撃を行ったが、占守島には行われなかった。 14日、カムチャッカ半島ロパトカ岬のソ連軍砲台(130mm砲4門)が、竹田浜付近の砂浜に数発の砲撃を行った。 15日、日本軍のポツダム宣言受諾が公表され、正午にはソ連軍を除く連合軍は積極行動を停止し、大部分の戦線で停戦状態となった。しかし、同日夕刻には国籍不明機が占守島を爆撃している。 17日午前5時に、ソ連軍上陸船団は泊地から出航し、途中からは無線封止して前進した。同日午前6時半頃には、海軍飛行連隊の3機が占守島の偵察と爆撃を行った。さらに、同日の日中には第128混成飛行師団所属機が占守島の軍事目標に対して連続爆撃を行った。ロパトカ岬の砲台も、占守島小泊のソ連座礁船残骸などに対して砲撃があった。 他方の日本軍は、8月15日の玉音放送に続き、北海道の第5方面軍から「18日16時の時点で停戦し、こちらから軍使を派遣」「その場合も、なお敵が戦闘をしかけて来たら、自衛のための戦闘は妨げず」との命令を受けた。17日までには各部隊に伝達されて、戦車の備砲を撤去するなど武装解除の準備を進め、化学兵器の海没処分などは終えていた。日本軍は、17日にカムチャッカ半島沿岸を舟艇多数が移動しているのは発見していたが、終戦後にソ連軍が侵攻する可能性はないとして、重視していなかった。
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