占守島の戦い

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没処分などは終えていた。日本軍は、17日にカムただし、17日夜半には沿岸拠点の一部に一応の警戒を命じており、竹田浜の前線には独立歩兵第282大隊(大隊長:村上則重少佐)隷下の1個中隊と大隊砲3門、速射砲3門、野砲2門、臼砲4門などが展開していた。 ソ連軍の上陸 8月18日午前2時半頃(日本時間)、ソ連軍先遣隊の海軍歩兵大隊が占守島竹田浜から上陸した。ソ連軍は武器の過重積載のため接岸できず、泳いでの上陸であった。竹田浜を防衛する独立歩兵第282大隊は直ちにこれを攻撃し、ソ連軍も艦砲射撃を行ったほか、ロパトカ岬からの支援砲撃を開始した。この際、日本軍の攻撃とソ連の艦砲射撃はどちらが先であったのかについて、両軍とも自軍が先であったとしている。先遣隊には軽微な損害はあったが、上陸開始後30分ほどで海岸に上陸し、沿岸陣地は無視して島の奥深く前進した。 3時30分頃、ソ連軍上陸部隊の主力第一梯団(第138狙撃連隊基幹)が上陸を開始した。日本軍は激しい砲撃を加えて上陸用舟艇13隻撃沈破を報じ、ソ連側によると指揮官艇を含む上陸用舟艇2隻が炎上、複数が損傷する等の損害を受けた。日本軍は航空隊も出撃させたが、対空砲火で艦攻(九七式艦上攻撃機)1機を失い、ソ連側によると特に戦果はなかった(ただし、日本軍側の証言によれば、未帰還となった艦攻1機は、ソ連軍艦艇を攻撃中に対空砲火により被弾し、別のソ連軍艦艇1隻に体当たりして自爆したとされている)。7時ごろに第一梯団の上陸は完了したが、重火器は対戦車砲4門のみで、司令部が海没したために部隊の統制は乱れていた。ソ連軍は艦砲射撃などで日本軍砲台の制圧を試みたが、効果が無かった。第二梯団(第373狙撃連隊基幹)の上陸は、続けて午前7時頃に開始された。日本軍の砲撃のため上陸に手間取り、午前10時ごろになって、ようやく上陸は完了した。依然として火砲の多くは輸送船に残されたままだった。 上陸したソ連軍部隊は、日本軍の激しい抵抗を受けるようになったが、午前4時ごろには四嶺山に接近した。四嶺山をめぐってソ連軍と日本軍の間で激戦が行われた。悪天候のため、ソ連軍は航空機により陸上部隊を直接支援することは出来なかった。 当初、日本側は上陸してきたのはソ連軍と断定できず国籍不明としていたが、次第にソ連軍と認識するに至った。
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