第一幕 裏渋谷

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 加奈が指差したのはドン・ロシナンテという全国チェーンのディスカウントストアだった。  沙紀はその店の他の支店で放火騒ぎが先日あった事を思い出したが、また加奈を怯えさせる事を心配して何も言わずに別れ、駅へ向かって足を進めた。  その直後、沙紀のすぐ後ろの通行人の間から、ざわっと悲鳴が上がった。薄汚れたワゴン車が歩道を爆走して来たらしい。  不安になった沙紀は来た道を急いで引き返した。ワゴン車はドン・ロシナンテのすぐ近くで一旦停車し、助手席のドアを開けて顎の真ん中だけ髭を長く伸ばし、耳にジャラジャラとピアスを付けた、いかにもガラの悪そうな若い男が飛び出るようにして降りて来た。  車のドアが開いた瞬間、沙紀の嗅覚をさっき坂道で感じた、あの嫌な匂いが襲った。降りて来た男は運転席に向かって何か怒鳴り、運転席の方からは「エヘヘヘ、エヘヘヘ」という明らかに正気ではなさそうな声が返って来る。  そして男はすぐさま走りだし、沙紀の真横を通行人を突き飛ばし、払いのけるようにして雑踏の中に消えて行った。ワゴン車はバックで車道の真ん中に出た。周りの車のクラクションの合唱を気にする風もなかった。 「沙紀!」  クラクションのあまりのうるささに気づいたのか、加奈が店の入り口へ出てきて沙紀に声をかける。加奈が入り口から一歩歩道へ出た瞬間、さっきのワゴン車が突然エンジンの轟音を上げて、ドン・ロシナンテの店舗に突っ込んだ。
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