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嘘と真実は紙一重だ。真実があるならば、必ずそこに嘘も存在する。この二つを使い分けて行くことで、人は人として生きていけるのだ。
…少し、視野を広くして、真実と嘘について考えてみよう。
一様に嘘と言っても、優しい嘘など、様々な嘘があるのはわかるだろうか。同じように、真実にも悪い真実、知らない方がいい真実というものもある。皆、ニュースは見たことがあるだろう。あれは、数パーセントの真実と、数十パーセントの嘘でできていると、自分は考える。
だが、先程も記したように、嘘にも様々な嘘がある。
例えば、殺人事件についてのニュースが流れていたとする。
この時に伝えられる真実は被害者、加害者。
そして、いつどこで事件が起きたかだ。
例えば、その殺人事件の目撃者がいたとする。
だが、報道側はまず間違いなくその目撃者の名前は隠すだろう。
なぜなら、それはプライバシーの侵害になるからだ。
ちなみにこのプライバシー、これも自分は一種の嘘だと考えている。
これは悪い嘘ではない。仕方のない嘘だ。
これは法律で決められていることであるが故に、全ての国民共通だ。
まだまだ嘘は潜んでいる。
さっきの殺人事件の続きになるが、皆はニュース番組で殺された人の死体は見たことあるだろうか。少なくとも、自分は一度もない。
これは報道側が視聴者が不快感を覚える、などの理由で見せる必要がないと判断しているからだ。
これは優しい嘘。
もし自分が朝起きてニュース番組を見ていたとして、突然死体が映し出されようものなら、その日はショックで学校を休んでしまうかもしれない。
残酷な真実など、優しい嘘で隠してしまった方がよいのだ。
とはいえ、嘘で隠してしまうのが必ずしもいいとは限らない。
嘘に隠されたその真実を知りたいと思う人がいる可能性もあるからだ。
これは人の好奇心や探究心によるものだ。真実を知ろうとする姿勢は悪いことではない。
実際、そうやって人類は様々な文明を築きあげ、進化してきたのだから。
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