10.お嫁様のお仕事は

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10.お嫁様のお仕事は

「何か、強そうだよね。今度の名前。」 「そう?」 「宗十郎って。」 「カッコいい?」 「カッコいいって言うか、強そう。名前だけ聞いたらムキムキな人みたい。」 「じゃあ東馬にトレーニングメニュー組んで貰わなきゃな。」 「いや!トレーニングは程々に!」 「何で?東馬みたいな体になったら嫌?」 「筋肉がどうこうじゃなくて。まぁとにかくトレーニングは、うん。」 11月の若手の会が大成功に終わって、年末の大歌舞伎の公演が行われる頃にはもう誰も十四代目設楽宗十郎の襲名にケチをつける人はいなくなった。 だから年が明けてすぐ始まった襲名披露公演には何の心配もなかったけれど。 それは恭だけの話。 舞台のご挨拶とハガキ職人が仕事だと張り切っていたのも束の間。 テレビの密着取材だとか、着物雑誌やちょっと高級な婦人雑誌での誌面デビューとか。 全然思いもしていなかった仕事が次々と舞い込んで来た。 梨園の妻は裏方業務だから、なんて。 あの仕事の何処が裏方業務やっちゅーねん! 勿論ド素人の私がそんな仕事を卒なくこなせる訳もなくて。 出来上がった紙面を見て美晴なんてポロポロ涙を流しながらお腹が攣って動けなくなるまで大爆笑してた。 女性週刊誌には舞台のご挨拶の時にいつの間にか撮られた写真が普通に掲載されて、勿論襲名のテレビニュースにだって映ってた。 いや、一般人にはきついよ。 マジな話。 2月半ばまで行った襲名披露公演の後にはあの有名ホテルでの結婚式があって。 高砂からずらりと並ぶ丸テーブルを埋め尽くす人を見た時にはマジで目眩がした。 500人超の人が一斉にこっちを見てるなんて状況、普通の生活じゃあり得ないから! フィッティングだけにしか参加してないドレスも有名なデザイナーの一点物だったし、今時2mのウエディングケーキに、司会は有名なアナウンサー。 テレビ中継こそなかったけど密着カメラはずっと付き纏って来るし。 襲名って。 結婚って。 こんなに大変な事だとは思ってなかったよー! 梨園の妻ってめちゃくちゃ大変じゃーん! 先に言っといてくれよぉー! 昔習っていたとは言え、これはマジでヤバそうだとお茶とお花のお稽古も再開したし。 体力的な事も考えてプール通いも再開した。 ハガキ職人の事もあるから習字も始めたし、突発的にやって来て拒否権のない表の仕事にも備えてエステ通いもしてる。 だから。 梨園の妻の一番の仕事と言える世継ぎに関しては、正直今は多分無理。 毎日ヘトヘトになってぐったりとベッドに傾れ込む姿を見ているからか、恭もその事はちゃんと理解してくれていて、子供は来年あたりにね、ってこちらが気遣う前に申し出てくれた。 ありがたい! これに子育てが加わったら、私多分死ぬ。 この私が!ご飯を食べるのも面倒だなんて思ってしまうくらいなんだから! だけど、そうは言ってもこれだけはちゃんとやらなくては。 せっかく恭が尽力してくれただし、一生に一度の事なんだから。 「わざわざ見に行かなくても蜜ちゃんが映像送ってくれるって言ってるんだから甘えたら?」 「実物見ないで決める訳には行かないよ。」 「だって4月の半ばにはまた花形歌舞伎が始まるし、休めるのは今しかないよ?」 「だからだよ!今動かないと5月なんて間に合わないじゃん!」 「呼ぶのは身内と親しい友達だけだしさ、直前に声かけたって大丈夫だと思うよ?」 「せっかくやるならそんな中途半端にしたくないもん。」 「それはそうだけどさぁ。あんまり顔色良くないし、そっちの方が心配なんだよ。」 「気のせいだってば!人間ドックの結果一緒に見たでしょ?」 「そうだけど。疲れてる事には変わりないだろ?」 「まぁ体力不足なのは認める。だからプール再開したし。でもさぁ、やっぱり晶さんがいないとつまんないんだよねぇ。」 「晶ちゃん3月末で実家に戻るって言ってなかった?もうこっちに来てるかもよ?」 「聞けないよ、そんなの。あんな騒ぎになっちゃってさ、東馬さんとも別々に暮らさなきゃいけなくなっちゃって、その結果でしょ?実家に戻るのは。いつ帰って来ますか?なんて。」 「確かにな。でも連休明けくらいには新しいマンションに2人で引っ越すって言ってたから、誘うなら今しかないよ?」 「えっ?また一緒に暮らせるの?って言うか、東馬さんの言ってる事、信用出来るの?」 「良くは知らないけど、アイツが晶ちゃん以外に目を向けるなんて考えられないだろ?」 「それはそうだけど!あの女優さん同級生なんでしょ?匂わせするくらいだし、何にもないって事はないんじゃないの?」 「この前東馬に会った時は全然気にしてる素振りはなかったんだよな。後ろめたい感じもなくて、結婚式楽しみにしてるって言ってたし。」 「じゃあ大丈夫なのかなぁ?3月末は忙しいだろうから4月に入ったら連絡してみようかな?」 「うん。それがいいよ。」 結婚前のゴタゴタがやっと静かになって、満を持しての襲名も問題なく果たす事が出来た。 だけど気がかりなのは彼女の事。 事件の事もあって、あまり彼女を人前には出したくないのだけれど。 そうも言っていられないのがこの仕事で。 何件かはお断りしたけれど、全部の仕事を断る事は出来なかった。 一般人の彼女は多くの視線を集める事になんか勿論慣れてはいないし。 テレビや雑誌の取材だって何をどうしていいのか戸惑っているのは一目瞭然。 出来るだけ一緒に現場には行く様にしているけど、そんな事くらいで何かが変わる訳でもない。 あちこちの付き合いにも顔を出す場面が増えて、自主的にあれやこれやと習い事を始めて。 育ちは良いし、社交に必要な習い事は小さな頃から叩き込まれているから全くのゼロからのスタートという訳ではないにしろ、慣れない仕事の傍らに習い事までしていれば当然。 お茶とお花のお稽古にはそんな彼女を見ていた親友が付き合ってくれて。 汐も何とか苦痛とは思わずに通っているから。 マンションのプール通いも出来れば息抜きの場にしてあげたくて。 信頼もできるあの子を思い浮かべた。 彼女も彼女で今は大変な時だと言うのは百も承知している。 もしこのスキャンダルがもっと悪い方向に向いた時には必ず力になると約束するから、だから何とか力を貸してくれと東馬にも頼んでみよう。 そう思っていたのに。 蜜ちゃんが紹介してくれた葉山の小さな式場を見学して、オープンキッチンで作られる料理の試食もさせてもらって、ここがいい!って汐の最高の笑顔を見られたその直後だった。 「えっ・・・」 式場の空き状況を確認してもらう僅かな間。 何気なく取り出したスマホを見るなり汐は絶句して動かなくなった。 「汐?どうした?」 俯いたままスマホをぎゅっと握りしめる汐の様子はどう見てもおかしくて、覗き込んだその顔は信じられないくらいに青かった。 「えっ!?汐!?」 咄嗟に抱き寄せて顔を上げさせれば、涙をいっぱいに溜めた瞳が何かを訴えていて、それを問う前にスッとスマホが差し出された。 「晶ちゃん?」
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