報告書3:冬と春の境界線

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“津田さんは男が好きなんだよ” またしても盗み聞き情報が、当時の鮮明な音声付きで脳裏に蘇った。 店のバイトスタッフが面白可笑しく繰り広げていた讃談。 今までは他人からの評価は料理に関しては特別意識していたが、世間体についてはさほど気にした事がない。 にもかかわらず先週の件以来、他人の言葉が耳にまとわりついて離れないのは、自分自身の事だけでなく水上も絡んでいるからだ。 (僕は、水上の傍に居ていいんだろうか…) だが決めたはずだ。 この先彼の幸せを全力で応援し、それを見届けられる日が来るまで見守り続けると。 それが自らに課した義務で“あの日”の原因を作った自分が出来る償いの形だと、深く胸に刻んだはずだ。 (…でも) 自分が近くにいるがために、彼が周囲から不本意な評価をされているのだとしたら。 幸せな姿を見届けるどころか、自分の存在は足枷にしかならないのではないか。 (僕は離れていた方が良かったんだろうか…) 父親を失った彼の、幸せになる支援をしたいだなんておこがましい考えだったかもしれない。 しかし決めたからにはと、彼を巻き込まないせめてもの策になればと思い『彼女を作る』と公言してみたものの。 結局は指摘されて、対して本気で望んでいない深層を気付かされるなんて―――。 突如、ガチャリと回ったドアノブの音に肩が跳ねた。 見れば赤ら顔の女性客で、男女兼用のトイレではあるものの男性の先客に驚いている。 慌てて詫び、うっかり鍵をかけていなかった事を内省しながらカウンター席に戻ると。 (…あれ、水上寝てる…?)
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