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夜遅いのに一人仏像の前で念仏を唱える武士がいた。
そう、長尾景虎である。
景虎は毘沙門天の前で、景竜が武功をあげられるよう祈っていた。
「我が息子にお力を御与えくだされ。」
景虎はその胸に一抹の不安を抱えていた。
「本当は私が直々に小田原攻めに行くべきだった。しかし、私はこの足では皆の士気を下げるだけだ。
しかし、それで、まだ多くは戦を体験しておらぬ景竜に任せるのはどうなのだろうか。いくら北条や今川に好き勝手させてはならぬと言えども…。」
その晩、景虎は一睡もせず、念仏を唱え続けた。
銀次郎は、夜遅くに大きな屋敷を訪れていた。
「お主は頭首の座はおりたが、我が一族であり、我が息子であるのは間違いない。必ず無事に帰って来い。」
少し老けているが端正な顔立ちで、かなりの風格を持つこの忍は、銀次郎達の父、鉱山である。
「ありがとうございます。父上。」
鉱山は銀次郎に尋ねる。
「銅次郎は明日は行かぬのか。」
銀次郎は頷き、
「銅次郎は景虎様のお側での仕事が一番ですから。小田原に向かうのは私と兄上だけです。」
鉱山は、
「金次郎の様子はどうだ。」
鉱山も金次郎と北条の間の話は勿論知っている。
「兄上は討ち死になさる気なのは間違いありません。」
鉱山は、
「銀次郎。お前は金次郎を助けるために色々考えているんだろう。」
「はい。」
鉱山は思いがけぬことを言い出した。
「銀次郎。我ら一族の者は自分が決めた道は突き通す誇り高き一族よ。しかしそれは、死に場所についても同じだ。自分がここで果てると決めたならば、そのようなことも突き通すのが我ら一族よ。一族の誇りは傷つけてはならぬよ。銀次郎。」
銀次郎はその言葉に驚き、
「父上は兄上を見捨てろと…?」
鉱山は首をふる。
「逆だ。銀次郎。金次郎の誇りを見届けてあげよと言っているんだ。」
「兄上の誇りを見届ける…?」
鉱山は頷く。
「残される者は辛い。しかし、死に場所を逃し、生き地獄を味わうのはもっと辛い。それを味わってきた、金次郎を自由にさせてやるんだ。地獄から解放してやり、誇りを傷つけることなく、見届けてやってくれ。」
銀次郎はなかなか頷けなかった。
「頼むよ。これは金次郎の親としてのお願いだ。頼む。」
鉱山は頭を下げる。
親に頭を下げられ、黙っていられなくなった銀次郎は、肩を震わせながらだが、
「わかりました。」
そう一言返した。
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