偽浮感

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人間らしい感情が嫌いだった。人間らしい感情を持たない人間になろうと思っていた。 妬みや恨みが少なくなった今、改めて自分の心中を覗きこんでみた。そうしたら、そんな欠片が浮いていた。特に意味も持たなく、ゆらゆらふらふらしていた。  子供のままで良かった。とても心地の良い世界だった。自分だけの世界で満足して、自己満足と自己陶酔と自己完結でループする世界に、一人っきりでぐるぐる回っているのが、私だけに優しい世界だった。  マウスのように、あんなに一生懸命走らなくてもいい。もっとだらだら歩いていればいい。それだけで車輪は回って、その回っている世界と、その世界を回している事実からの満足感だけで、そこそこ楽しくなれる、そんな世界の中だけに居るのが好きだった。  他人との関わりが嫌いな訳じゃない。自分と同じレベルの子供なら、子供同士の全く現実味のない話だけをしていて双方とも満足感が得られる。子供特有の、大人の真似事をもっともらしく語るのが楽しくて、業と難しい言葉と言い回しを使って、でもそれは「ごっこ遊び」の範囲を超えない。そんな子供の世界にずっと痛かった。  それでも歳は取る。成長はしなくても、歳だけ取って、成人になる。周りは大人になるだろう。自分だって、大人に見える振る舞いと会話術を身に付けなければならない。必要がある程度に現実を見ていて、それでも少し夢を見ちゃって、愚痴を言って、何かに本気になっていたり。「夢を夢で終わらせない」とか言ってみたり。そんなのが、正当な二十代という成人としての振る舞いで、成人の会話なのだろう。仕事や生活で、自分で自分を生かす事で精一杯になるのも大人だろう。私のようにいつ死んでも別にどうでも良くて、生きるか死ぬかもどうでも良くて、その癖親にべったりと保護されているのは子供だ。  自己完結じゃ終わらない。自己満足で満足しない。これも大人としての、職業人として精神や思考、思考なのだろう。健全な精神なのだろう。
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