偽浮感

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 元を辿れば両親の結婚もある。何故この母は、あの父と結婚したのか。良い所なんてし高学歴高所得だけなのに。それがステータスだった時期なのだろうし、母が金銭に不自由するのはもう嫌だったのもある。しかし、その結果がこれだ。出来損ないの、マイナス要素だけ受け継いだ遺伝子。家庭。自分の遺伝子なんて絶対この世に残したくない。そんな子供は可哀そうだ。この遺伝子と父の遺伝子情報は私が責任を持って絶滅させる。そう誓ったのは、生殖の仕組みを知る前だった。こんな物を残すものが「良いこと」のはずがない。  あとは、そんな生物的本能に支配されたくない。なんて野生的で、動物的だ。どうせ繁殖の為の生物としての本能なのだろう。そんなもの。そんなもの。  私は人間だ。人間は理性を持っている。理性で本能を制御するのが人間だ。人間なら本能に従うだけの行動はしないべきだ。私は子供の頃からそう思っている。     しかし、究極的にはもっと理論的でありたい。理性と理論だけで生存している生物になりたい。「人間性」と言われているものを全て排除したい。人間らしい感情を無くしたい。  でも「人間性」とは何だろうか。喜怒哀楽を考えてみた。喜んでいるように見えて、喜んでいるだけ。怒っているようだけど、本当は別にどうでもいい。哀しみなんて忘れた。全部「ふり」だ。生存本能さえもどうでもいい。そんな人間になりたい。他人の事も、世界の事も、自分の事も「どうでもいい」そんな人間に私はなりたい。  現実はこうして劣った劣悪な自己顕示欲を発散しているし、他人と衝突したくなくて偽って生きているし。こんな生産性の無い事を出来る余裕がある、どうにもおめでたい脳内です。
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