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「あ……ありがと」
何かに操られるが如くその手をつかみ、口からは抑揚のない声が漏れた。
「兄ちゃーん!また釣れたよー!」
勝の嬉しそうな声が響いた。
少年は肩越しに勝に頷くと、すぐに視線を志穂に戻し言った。
「歩けるか?」
低く無愛想な声。
志穂は上目遣いにその顔を見上げで頷いた。
(悪い人じゃなさそうね……)
自分を気遣ってくれているのだろうか、時折振り返りながら勝の元に歩く少年を見ながら、志穂は思った。
海辺にたどり着いた少年に、勝はたった今釣り上げた魚を自慢気に差し出した。
「だめだ、戻せ」
強い口調。
勝は不満そうに口を尖らせた。
「もっと大きくなってからまた釣ればいいだろ。戻してやれ」
勝は残念そうに頭を垂れたが、すぐに納得したように魚を海に放した。
そして、
「見てよ、志穂お姉ちゃん。これ、全部僕が釣ったんだよ」
勝の横にある魚が入ったバケツを見て、志穂は目を丸くした。
かなりの大物が溢れていた。
驚きで声も出ない志穂の横で、勝は腰に手を当ててふんぞり返っていた。
「兄ちゃんが魚がいるとこ教えてくれたんだ。この兄ちゃんすごいんだよ!うちの父さんやあんちゃんだってこんなに釣った事ないのに!」
口早に話す勝の横で、少年が何やらデニムの後ろポケットをまさぐっている。
そして。
ジッポーライターの金属的な音が聞こえ、志穂ははっと我に返った。
少年の方に顔を向けた途端、その目を煙草の紫煙が突き刺した。
じわりと涙が滲む目をしばたたき、少年に目を移す。
(この人、私と同じくらいの歳なのに)
持ち前の正義感が頭をもたげ、そう思った瞬間に志穂は少年を睨み付けていた。
「あの……」
怒鳴り付けてやろうと意気込んだはずなのに、その口からは意思に背いた遠慮気味な声が出ていた。
少年の視線が志穂を捕らえる。
志穂は大きく息を吸い込むと、意を決して、しかし消え入りそうな小声で口早に言った。
「あなた、未成年よね?煙草なんて吸っちゃ、だめじゃない」
いい終えて視線を宙に流す。
少年が口元だけで笑った。
「気が強いんだか弱いんだか、判んねぇ奴だな。それより、こいつお前の弟……じゃねぇよな、神田志穂」
突然名前を呼ばれ、志穂は少年に目を向けた。
名前を知っている?
この人とどこかで会っただろうか。
必死に記憶の糸をたどる。
しかし、志穂には思い出す事ができなかった。
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