第1章 1ー1

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薄い雲が一面に広がる空を見上げ、志穂は長い吐息を洩らした。 暑い。うんざりするほどの暑さだ。 雲に遮られた太陽が、丸い輪郭を浮き上がらせている。 風もなく、上気した空気は流されて行く気配もない。 穏やかと言えば穏やかな天気。だと言うのに、なぜか荒れた潮騒が遠く耳を掠めている。 (ずいぶん波が高そうね……) 志穂は訝しげに口の中で呟くと、やおら目を険しくさせて道の先を見つめた。 「暑い!もう我慢できない!」 苛立たしげな一声上げ、自転車のペダルを強く踏みつける。爽快に走り出した自転車が、期待の風を作り出した。 「ああ、涼し……くなんかならないわよ、もぅっ」 風がないなら自ら作り出せばいい。 そう思っての事だったのに、体に受けた風は単に生温く、不愉快極まりないものだった。しかも、スピードを緩めた途端に全身から汗がどっと噴き出す。 「何をしても無駄ね……」 溜め息混じりにぼやきつつ、スピードに乗った自転車を惰性で走らせる。 舗装の行き届いていない道に、荷台の荷物がガタガタと揺れた。 荷台にの段ボールには野菜が入っていた。 志穂の家はこの町の商店街で八百屋を営んでいるのだ。 土曜日で高校が休みの今日、朝から配達で方々を走り回り、いい加減うんざりしていた。 数メートル先の曲がり角。その先にある寂れた駅から、たった今発車した列車の汽笛が聞こえてくる。 その角を曲がった直後、志穂は萎縮するように肩をすぼめた。 異様な静けさが駅前の通りに満ちていたのだ。 (なんなの。嫌な雰囲気……) 数件の飲食店が建ち並ぶ井戸端会議に興じる初老の女性達。そしてたわむれ遊ぶ子供達。 目の前にあるのはいつもと変わらぬ風景だった。 しかし、何かしら凍りついたような雰囲気が立ち込めていたのだ。 おどおどと視線を巡らせる。 自転車を押し歩き、ひそひそと話をする女性達の横を通りすぎた時、彼女達の密やかな話し声が耳に入ってきた。 「まさか、あの子がそう……?」 「どうして今になって」 「やっぱりあの話……」 (誰の事を言ってるのかしら) 訝しげに目線を前に戻した志穂は、駅の前に佇む1人の少年を見つけた。 どうやら彼女達の言葉と視線は彼に向けられているようだった。 見た所、自分と同年代……16~7歳だろうか。この町では見かけた事のない顔だった。 ちらちらと冷たい視線を投げる女性達に気づいているのだろう。
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