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薄い雲が一面に広がる空を見上げ、志穂は長い吐息を洩らした。
暑い。うんざりするほどの暑さだ。
雲に遮られた太陽が、丸い輪郭を浮き上がらせている。
風もなく、上気した空気は流されて行く気配もない。
穏やかと言えば穏やかな天気。だと言うのに、なぜか荒れた潮騒が遠く耳を掠めている。
(ずいぶん波が高そうね……)
志穂は訝しげに口の中で呟くと、やおら目を険しくさせて道の先を見つめた。
「暑い!もう我慢できない!」
苛立たしげな一声上げ、自転車のペダルを強く踏みつける。爽快に走り出した自転車が、期待の風を作り出した。
「ああ、涼し……くなんかならないわよ、もぅっ」
風がないなら自ら作り出せばいい。
そう思っての事だったのに、体に受けた風は単に生温く、不愉快極まりないものだった。しかも、スピードを緩めた途端に全身から汗がどっと噴き出す。
「何をしても無駄ね……」
溜め息混じりにぼやきつつ、スピードに乗った自転車を惰性で走らせる。
舗装の行き届いていない道に、荷台の荷物がガタガタと揺れた。
荷台にの段ボールには野菜が入っていた。
志穂の家はこの町の商店街で八百屋を営んでいるのだ。
土曜日で高校が休みの今日、朝から配達で方々を走り回り、いい加減うんざりしていた。
数メートル先の曲がり角。その先にある寂れた駅から、たった今発車した列車の汽笛が聞こえてくる。
その角を曲がった直後、志穂は萎縮するように肩をすぼめた。
異様な静けさが駅前の通りに満ちていたのだ。
(なんなの。嫌な雰囲気……)
数件の飲食店が建ち並ぶ井戸端会議に興じる初老の女性達。そしてたわむれ遊ぶ子供達。
目の前にあるのはいつもと変わらぬ風景だった。
しかし、何かしら凍りついたような雰囲気が立ち込めていたのだ。
おどおどと視線を巡らせる。
自転車を押し歩き、ひそひそと話をする女性達の横を通りすぎた時、彼女達の密やかな話し声が耳に入ってきた。
「まさか、あの子がそう……?」
「どうして今になって」
「やっぱりあの話……」
(誰の事を言ってるのかしら)
訝しげに目線を前に戻した志穂は、駅の前に佇む1人の少年を見つけた。
どうやら彼女達の言葉と視線は彼に向けられているようだった。
見た所、自分と同年代……16~7歳だろうか。この町では見かけた事のない顔だった。
ちらちらと冷たい視線を投げる女性達に気づいているのだろう。
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