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「それにしても、僕は一つ気になることがあるんだよ」
腕を組みながら、トラ松先輩は顔をしかめた。
毛むくじゃらの腕が大きくあらわになる。スーツが縮まって今にでも弾け飛んでしまいそうだ。
それを気にしつつ、僕は首を傾げた。
「気になることですか?」
「そうそう。あれだよ、あれ。えっと、あの焼いた肉につける液体は――」
「焼肉用のたれですか?」
「そうそう。それだよ」
喉のつかえがとれたように、トラ松先輩は満足げな表情を浮かべた。だが、すぐに険しく変わる。
「あれは焼肉には必要ないと思うんだ」
「はあ……」
僕は曖昧に相槌をうつ。トラ松先輩はやや怒りのこもった口調で続けた。
「味は濃いし、色味もよくない。そもそも肉本来の味を駄目にしているんだよ」
「トラ松先輩はいつも使ってませんからね」
僕が賛辞を送るように言うと、トラ松先輩は誇らしげに胸を張った。
スーツのボタンが豪快に飛ぶ。目の前のパソコンのモニターに勢いよくあたり、弾けてどこかに行ってしまった。
トラ松先輩は飛んだボタンのことなど意に介さない。むしろ窮屈さがなくなったおかげか、言葉か弾む。
「肉本来の味を大切にしようと考えていれば、当然だよ」
気取るトラ松先輩。
怪しげに牙が光った。
「でも、さすがに焼かずに生のまま食べようとするのは、やり過ぎですよ」
「それは僕もわかってるよ。いろんな店で怒られたからね。けど、生肉を前にすると、身体が勝手に動くんだよ。なんでだろう?」
それは野性の本能だからですよ、と突っ込む勇気は僕にはなかった。
もしそれで本能が目覚めでもしたら、真っ先に隣にいる僕が獲物になってしまう。
僕はトラ松先輩の疑問には触れず、明るく振る舞いながら言った。
「それを考えたら、先輩が見つけた店は、先輩のことを理解してくれてますよね!」
「そうなんだよね。いやぁ、あの店は懐がふかくてありがたいよ。わざわざ僕専用に肉を仕入れてくれるからね!」
そう。
その肉を使ったメニューが、トラ松先輩のお気に入り。
「馬肉だけというのは少し物足りないけどね」
馬肉のユッケ。
トラ松先輩があの店に行くと、それしか注文しない。
ちなみに、かかっている生卵や、付属のタレは使っていない。ワイルドに生肉だけを食べている。
「牛肉や豚肉なんかも、生で食べられたら、最高なんだけどなぁ」
まだまだ焼肉に満足していないトラ松先輩だった。
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