庄助の場合ー2

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´  薄暗い密林のなかで、その惨劇は行われた。  指揮したのは中根と言う将校で、 満州国の陽春村に於いて、 外れの農民一家に火を放し、虐殺したと言う、噂の持ち主だった。 『お国の為ーーー■命であるーーーーーっ! ■■■■下ぁ~~ 万歳ぃーーーーーっ! 玉砕ーーーー~~~~~っ!』  自決させられた負傷兵は、 率直に自らの命を、絶った訳ではなかった。  銃剣を手にはしたものの、 どう仕様もない哀れな表情を作り、 回りを見て、無言で命を乞うのだったが……。  それには、どうする手立てもなかった。 【生きて虜囚の辱めを受けず。死して罪過の汚名を残すことなかれ】  戦陣訓は、兵隊達を骨の髄まで洗脳していた。  物言わぬ一関を背負って、庄助は歩いた。  自決させられた仲間は三名いた。  他の二名は、 一等兵の二人が背負って、庄助のあとについていた。  そうやって、 生き長らえた仲間は、六名になった。  亡骸を北西の海岸の崖から葬ることを、 庄助らは命じられた。  今、仲間の命を生かすも殺すも、 中根中佐考えひとつにあった。  突然大粒の雨が、 刺すように降ってきて、道は泥濘(ぬか)るんだ。 ´
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