第一章・殺し屋

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すっ、と背後から首に腕を回され、首にナイフを突き付けられた。 全く動けない。 「一室だけ、扉付きで立て籠れる部屋があるなんて、都合良すぎですよ。バカですね。待ち伏せです。」 ナイフを突き付けられたその時点で、もう俺は、どうしようもない ということを悟った。 「い、依頼主は、だれですか?」 素直に聞いた。 死ぬのがわかってるのだから、もう怖くない。 諦め、開き直りの境地 「あなた、面白い人ですねえ。普通は恐怖によりもっとがちがちに震えるか必死に抵抗するかの二択ですよ。諦めたんですか?」 先に言われた。 「なんか…あ、あと1分で死にますと言われた感じ…か、な。 死が迫る恐怖って、いつくるか、わかんないから怖いです、よね。それがなくなった。まあ…ようは諦めた…てことです」 「でもあなた運悪いですねえ。そこらへんのプライドの塊のポンコツ殺し屋でしたら、“面白い奴だ、生かしておいてやる”とか言うんですが、私は仕事に忠実なんですよ。すいませんねえ。」 「ここ、ころすのは構わんから、依頼主と、動機を教えてくれ」 殺すのは構わんと心底思ってるわけはないが。 「んー、まあデメリットはないしなあ。同じ会社の佐藤さんですよ」 は? 佐藤? 一回も話したことがないやつだった 「…動機は?」 「あなたが佐藤さんの想い人、安田さんと喋った。会話した。それだけです」 会話。 そう、会話。日常的な、くだらない、ありふれた、「普通」の会話をしただけだ しかも一回だけ。 一回だけの、日常的会話 まさに、普通の行動、だ。 「彼からしたら気に食わなかったらしいですよ」 なんだか、妙に納得した。 ああ、俺は最期まで、普通だったのだ。 おかしかったのは、周囲だったのか。 狂っていたのは、俺じゃなかったのか。 俺が悪くもないのに殺されなきゃならないこと、そして、 俺が普通であったこと それが悲しくて悲しくて、泣いた。 ああ、やっぱり、普通なんだ。 追い詰められて、俺は普通じゃないことを望んでいたことを実感した 「じゃ、いっちゃダメなこといったし、さようなら。」 涙で殺し屋が躊躇うことを微かに期待したが、殺し屋は、なにも変わらず、俺の首をさっぱいた。 走馬灯なんか流れなかった。 ああ、そうだ。 死に方だけは普通じゃない。 よかったなあ。 薄れ行く意識のなか、ただそれだけを思った。
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