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ダークサイド:ZERO
かつて暮らしていた地域はスイスの貧しい農村地帯で、流行病に倒れる住民の命を救うべくして兄弟で日夜研究に身を窶していた。
父母を早くに亡くした私と兄を育てたのは母方の祖父で、貧しくも日常の中にあるささやかな幸せに三人で身を寄せあって生きてきた。
しかし現実は残酷でしかなく…どんなに研究を重ねても流行病による死の流れは止まらず、遂に祖父が流行病で死んだ時───兄は生家を始発点にし、村中に油を撒いて火を放った。
特殊な陣形の図体を模して燃え盛る炎を見て、ようやく兄が行おうとしている《術式》を理解した私は声の限りに兄の名前を叫んだ。
錬金術師の端くれでもあった兄が挑もうとしているのは生贄と己の命を礎にして賢者の石を生み出す禁術だった。
「兄さん!!」
燃え盛る炎の向こうで、頭から油を被った兄は声を上げて泣いていた。
それが、生きている兄をみた最後だった。
+++
「兄さん!! 兄さんいたら返事してくれっ」
あの業火に巻かれて生きているとは到底思えなかったが、認めたくなくて焼け跡で声を張って兄を呼ぶ。
村中、歩く道すがらに焼け焦げて僅かに炎をあげる死体が累々と折り重なっていた。
せめて一部でも残っていないかと思って生家である焼け跡を訪ねたが…そこに兄の姿はなく、不自然に焼け残った右腕だけが横たわっていた。
焼け落ちたのか爆ぜたのかは定かで無いが、右腕を除いた体は、どこにも見当たらない。
「…兄さん…っ、兄さん……どうして、私を置いていったのっ?」
ただ、優しかった兄が死んでしまったことが悲しくて子供だった自分には涙を零す以外の術がなかった。
「でも…。そうだ、右腕だけ焼け残っただなんて、どうして…」
死後硬直にきつく握られた掌を苦労して開くと、斜陽の中で鈍い赤色に輝く石があった。
「賢者の石…っ、こんなものの為に…」
兄の右腕を生家の庭に葬ったその後、当時12歳で孤児になった私は、数少ない親類を頼って比較的豊かな街に移り住むことになった。
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