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透明なビニール傘が、ふいに明るくなった。
いきなりの変化に驚いて顔をあげれば、キラキラと傘の上に乗っかっている水滴が、輝いているのが見えた。
厚くて暗い雲の隙間からは、恐ろしく眩しい光がのぞいている。
…雨が止んだのだ。
ビニール傘を閉じる。また降るかもしれないから、とりあえずボタンは留めない。
一歩踏み出すと、水がはねた。
ふと足元をみると、大きな水たまりがたくさんできている。
そういえば前は、こんな水たまりではねて遊んだな、と考えた。
ばしゃばしゃと水が揺れるのが面白くて、自分が濡れてしまっても飽きることがなかったのを思い出す。
またしようかな、と思ったけれど…やっぱりやめた。
今はあの頃みたいに黄色の長靴は履いていない。今履いているのは黒い革靴だった。それに、服を濡らすのは嫌だし、洗うのは面倒だ。
…そういえば。
いつからそんなことを気にしだしたのかな、とちょっとだけ首を傾げてしまった。
前なら気にせず―というか、一瞬迷っても―とび込んで遊んでいたはずだろう。
たとえ長靴を履いていなくても、叱りながらも母が洗ってくれた、ということもあるかもしれない。
…ああ。でも、やはりそれだけではないのだ。
そうだ。あのころは早く大人になりたいと望んでいた。
大人なら勝手にどこへでも行ける。大人なら勝手にご飯も食べることができる。
きっと楽しいさ、良いなぁ大人って。そう、思っていた。
けれど、現実はどうだろうか。
せますぎる「世間」という「他人の目」に悩まされて、いつからか何もできなくなっていった。
勝手にどこまでも行くのには、仕事という制限がつく。
勝手にご飯を食べるのには、金の問題という制限がつく。
あげくには、こんなふうに考えすぎてしまって、水たまりに足を踏み出すことすらもできなくなるのだ。
今は思う。
なにもかも捨てて、子供のころに戻れたらどんなに素敵だろう、と。
がんじがらめで何もできない、つまらない「大人」の生活よりも、「子供」の生活のほうがずっと自由だろう。
今の自分は、昔の自分が望んだ自分ではないことだけは確かだ。
僕は水たまりで遊ぶのではなく、荒んだ子供のように水溜りを蹴ったのだった。
終わり
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