名前も知らないふて腐れた感情

2/2

0人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
透明なビニール傘が、ふいに明るくなった。 いきなりの変化に驚いて顔をあげれば、キラキラと傘の上に乗っかっている水滴が、輝いているのが見えた。 厚くて暗い雲の隙間からは、恐ろしく眩しい光がのぞいている。 …雨が止んだのだ。 ビニール傘を閉じる。また降るかもしれないから、とりあえずボタンは留めない。 一歩踏み出すと、水がはねた。 ふと足元をみると、大きな水たまりがたくさんできている。 そういえば前は、こんな水たまりではねて遊んだな、と考えた。 ばしゃばしゃと水が揺れるのが面白くて、自分が濡れてしまっても飽きることがなかったのを思い出す。 またしようかな、と思ったけれど…やっぱりやめた。 今はあの頃みたいに黄色の長靴は履いていない。今履いているのは黒い革靴だった。それに、服を濡らすのは嫌だし、洗うのは面倒だ。 …そういえば。 いつからそんなことを気にしだしたのかな、とちょっとだけ首を傾げてしまった。 前なら気にせず―というか、一瞬迷っても―とび込んで遊んでいたはずだろう。 たとえ長靴を履いていなくても、叱りながらも母が洗ってくれた、ということもあるかもしれない。 …ああ。でも、やはりそれだけではないのだ。 そうだ。あのころは早く大人になりたいと望んでいた。 大人なら勝手にどこへでも行ける。大人なら勝手にご飯も食べることができる。 きっと楽しいさ、良いなぁ大人って。そう、思っていた。 けれど、現実はどうだろうか。 せますぎる「世間」という「他人の目」に悩まされて、いつからか何もできなくなっていった。 勝手にどこまでも行くのには、仕事という制限がつく。 勝手にご飯を食べるのには、金の問題という制限がつく。 あげくには、こんなふうに考えすぎてしまって、水たまりに足を踏み出すことすらもできなくなるのだ。 今は思う。 なにもかも捨てて、子供のころに戻れたらどんなに素敵だろう、と。 がんじがらめで何もできない、つまらない「大人」の生活よりも、「子供」の生活のほうがずっと自由だろう。 今の自分は、昔の自分が望んだ自分ではないことだけは確かだ。 僕は水たまりで遊ぶのではなく、荒んだ子供のように水溜りを蹴ったのだった。                       終わり
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加