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宇土君達はタクシーで帰るようにと気掛けてくれたけれど、電車もバスも動いているこの時間帯に贅沢をする気にはなれなかった事もあり、地下鉄への階段を降りて行った。
とは言え疲労のせいか足は重く、手摺りに捕まりゆっくりと。
今から帰って先にシャワーを浴びて、それから冷凍のレトルトパスタでもチンして食べよう。
それから持ち帰った仕事をしなくちゃいけないわ。
帰宅後はどう動くかを、簡潔に思い描いていると…
「…っ…?」
急にモヤがかかった様にクラッと目眩がして、片足は階段を踏み外し一瞬、時間が止まった。
宙に浮く、という感覚が正にソレ。
『あ、落ちる』
そう思った途端、眼に映る景色は階段と斜め平行する上部のコンクリートと、備え付けられた眩い光。
走馬灯とは良く言ったもので、この0コンマの世界で数々の記憶が駆け抜けていった。
ろくでなしだった父の顔、病気で弱っていく母の姿、私を食い物にした男達、醜くヨガリ嘘の笑みで渡されたお金を数える自分と、真面目に会社勤めをする自分。
戸塚さんや柴田君、宇土君や菊川さん…大嫌いな課長や厚塗りの化粧直しをしながら私のことを影で罵る同社の女達とか。
細かいところでは取り引きに関わった人達や、学生時代の同僚まで。
そして今関わっている仕事が全部中途半端になってしまう、という気掛かりの部分が過ぎった後に、最後の最後で部長…彼の屈託の無い笑顔が映し出されて…
〝ーーガツッッ!!ーー〟
物凄く鈍い音が響いてからの記憶は、全くない。
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