土方歳三

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土方歳三/1 天保6年(1835年)5月5日 武蔵国多摩郡石田(いしだ)村(現在の東京都日野市石田)に農家の土方隼人と恵津の間に生まれる。 6人兄弟の末っ子だが、 父は歳三の生まれる3ヶ月前の2月5日に結核で亡くなっており、 母も歳三が6歳のとき結核で亡くなっている。 また長兄の為次郎は失明していたため、次兄の喜六と、その妻・なか によって養育された。 少年期の歳三は、「バラガキ」と呼ばれ、触ると痛い茨(いばら)のような乱暴な少年であった。 生家には、歳三が少年の頃に「武士になりたい。武士になったらこの竹で矢を作る」と言って植えたという竹がある。 17歳の時に松坂屋上野店の支店である江戸伝馬町の木綿問屋(上野店の鶴店に対し、亀店(かめだな)と称された)に奉公に上がり、そこで働いていた年上の女性を妊娠させてしまうといった問題を起こして(番頭に衆道関係を迫られたともいわれる)郷里に戻ったという説もある その後、歳三は実家秘伝の「石田散薬」を行商しつつ、各地の剣術道場で他流試合を重ね、修行を積んだ。 姉・のぶは姉弟の従兄弟でもある日野宿名主の佐藤彦五郎に嫁いだ 彦五郎は大火に乗じて命を狙われたことがあり、それを契機に井上源三郎の兄・井上松五郎の勧めで天然理心流に入門し、自宅の一角に道場を開いていた。そんな縁から彦五郎は試衛館の近藤勇と義兄弟の契りを結んでおり、天然理心流を支援した。 歳三はその道場に指導に来ていた近藤と出会い、安政6年(1859年)3月29日、天然理心流に正式入門している 文久3年(1863年)2月、試衛館の仲間とともに、将軍・徳川家茂警護のための浪士組に応募し、京都へ
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