近藤勇

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近藤勇/1 武蔵国多摩郡上石原村(現在の東京都調布市野水)に農民・宮川久次郎の三男として生まれる。 幼名は勝五郎。 久次郎には勝五郎の他に、長女・リエ(天保3年(1832年)に死去)、長男・音五郎、次男・粂蔵(粂次郎)がいる。 嘉永元年(1849年)11月11日、勝五郎は天然理心流剣術道場・試衛館に入門する。 盗人を退治するなどして師の近藤周助(近藤周斎)に認められ、周助の実家である嶋崎家へ養子に入り、嶋崎勝太と名乗る。 のちに正式に近藤家と養子縁組し嶋崎勇と名乗ったのちに、近藤勇を名乗った。 万延元年(1860年)に清水徳川家家臣・松井八十五郎の長女である松井つねと結婚。 翌年8月には府中六所宮にて、天然理心流宗家四代目襲名披露の野試合を行い、晴れて流派一門の宗家を継ぎ、その重責を担うこととなった。 また、文久2年(1862年)には、長女・たま(瓊子)が誕生した。
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