序幕 四ノ宮月乃の人生論

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これは私の勝手な持論なのだけれど。 一部の人が運命やら必然やらと名付けている所謂人生というものは、四割の偶然と三割の不可抗力と、残り三割の感情によって構成されているのだと思う。 「僕は野球と運命の出会いをしたんです」 ドラフト指名一位を獲得した新人野球選手のインタビュー。 彼の言っていた運命の出会いとは、幼少期、散歩中に飛んできた豪速球(しかも硬球)を偶然にも素手でキャッチしたことだという。 それを聞いた世間は彼を野球の神に見初められた天才だと持て囃した。 しかし感情移入せずに事実だけ見つめれば、彼の経験は先程述べた人生の三要素(自論なのだから勝手に名付けたところで問題は無いだろう)で説明することができる。 偶々どこかの誰かがボールを飛ばし、偶々そこに散歩中の幼児がいて、偶々それをキャッチした。 それを親が見て、我が子は野球に卓越しているのだという感情を持ち、偶々彼の家は裕福で、偶々近くに名門少年野球のチームがあり……。 簡単に彼の略歴を語るのに一体何回の“偶々”を使ったのだろう。 そして、それは彼だけに限った話ではない。 どこの誰にだって言えることだと思う。 私、四ノ宮月乃に限っても例外ではない。 偶々母親がお菓子ばかり作りたがる元パティシエであり、料理を習得せざるを得なかった。 偶々父親が名の売れた俳優であり、演劇に興味を持った。 私が女優を志している理由も父親から来る偶々の重なり。 故に。 我が演劇部が夏期都大会に進出できたのは、何としてでも出場したい!と意気込んだ部員達の感情からの結果。 そのリハーサルで親友、もとい彩芽が足を滑らせたのは偶々。 ……いや、彼女の鈍臭さと本人にそれを治す気が無いのを考慮すると不可抗力か。 舞台の上、バランスを崩した彼女の先に私が立っていたのはまごう事なき偶々。 で、頭突きを受け、その時点で意識を飛ばしてしまったのは不可抗力。 ならば、その衝撃で百五十年もの時を越えてしまったのは 偶然か、不可抗力か、感情か。 それとも―――。
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