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幽玄町の1番奥の大きな屋敷に、妖の王…主さまが住んでいる。
昼間は寝ていることが多く、起こそうとすると機嫌次第では殺されることもある。
なので山姫はしばらく主さまの部屋の隣室にあたる大広間で待機していたのだが…一向に起きてくる気配はない。
そのうち腹が減ったのか、わんわんと泣き出してしまい、人の子供の育て方を知らない山姫がおろおろしながら立ち上がり、あやすようにしてくるくると回って宥めようとするが、火がついたようにして泣き止まず、起きてきた他の妖たちに囲まれた。
青行燈と呼ばれる角の生えた長い黒髪を持ち、白い着物を着た妖と、黒塚と呼ばれる人食いの鬼婆が赤ん坊の顔を覗き込んだ。
泣き続ける赤ん坊に触れようとしたが、山姫がふいっと身体を背けてそれを阻止する。
「何だい山姫、食うなら私にも脚を1本おくれ」
「黒塚、これは食いもんじゃないよ。人の女が幽玄橋に捨てて行ったらしいんだ」
結局女の妖が3匹そろっても、赤ん坊が腹を空かせて泣いていることに気付くことができず、結局一緒にうろたえる仲間が増えただけで右往左往していると…
「…うるさいぞ」
――主さまの寝室から低く静かな声が聴こえた。
途端にぴたりと動きを止めた3匹と、泣き止まない赤ん坊。
「…“それ”はどうしたんだ」
「ぬ、主さま…この赤ん坊は…その…」
「早く言え!」
主さまの怒声に青行燈と黒塚が逃げて行き、襖の前で冷や汗を垂らしながら座ると、そっと少しだけ開けてみた。
「失礼いたします…」
「…なんだ、それは」
「人間の赤ん坊です。人間の女が幽玄橋に捨てて行きました」
男が…むくりと起き上がった。
――背中半ばまである長く美しい黒髪に、真っ白な身体、不機嫌そうに結ばれている薄い唇と、明らかにいらついている切れ長の瞳…
この若い男が百鬼夜行を率いる妖の頂点の男の、主さま。
本当の名は誰も知らない。
知っていても、口に出して呼んではいけない。
昔から主さまと呼ばれている。
「…女か」
「はい、女です」
「…腹が減っているから泣いているんだぞ。お前、女じゃないのか?」
主さまは欠伸をしながら唇を尖らせた山姫を嘲笑した。
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