また、瞳を閉じてみる

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 小学校1年の時は、3回も転校。勿論、母親の都合だった。 比較的活発な方だとは思うけど、やんちゃが過ぎていた 面も多々あった。 この頃から、親の目を盗みちょっとした悪さもした。 ある朝、母親が未だ仕事から帰ってきてない時間に 目が覚めた。 マンションの下の今で言うコンビニの様な所の前に あるガチャガチャを、何十回もした。 母親が、貯金箱代わりにしていた紅茶の飴の四角い カンカンから何度も十円玉を取り出して。 挙げ句の果てには、ベッドにばらまいて十円玉だけを 拾い集めて下りていった。 最終的にガチャガチャを回している最中に、タクシーで帰宅。 青ざめたのは、言うまでもない。 ベッドの上はあの状態だし、確実に怒られる。 半端じゃないんだ、母親は…。 あれこれ考えてる暇もなく、シバかれてた。 そのたび、閉じた瞳の奥で夢であってほしいとか、 早く終わってほしいとか、何でこんな事したんだろうとか、 色々考えてた。後の祭りなのにネ…。  小2の時、田舎の学校に転校した。 先生はお婆ちゃんなんだけど蝿が鼻にとまっても 微動だにしない、昔ながらの真面目な人だった。 その当時の私は、おかっぱ頭の女の子みたいなタイプで よく怒られていた(母親に)せいかすぐに泣いてしまっていた。 虐められやすさは、備わっていたのだろう。 学校から見える列車を見て「電車が走ってる。」って言うと、 思いっきり笑われた。「電車やって?!何言いよん?!」 「汽車やし。アホちゃうん。」って…。 当時、電車が走ってないディーゼル機関車主流の地域性も 有り思いっきりバカにされた。 今は、走ってるけど電線も当時無かったから京都とは 全然違うのは仕方無いかと。 ちょっとしたことで叩かれたり、やん茶坊主に虐められた。 絵を描いても、黒や灰色中心の暗い感じで先生に心配されて 親と話していたのを覚えている。 2学期に、やん茶坊主を泣かしてから少し人生観が変わった。 簡単に言えば、いじめられる側からいじめる側への転換だ。 生意気になり、叩く回数が叩かれる回数を遙かに超えた。 と言うより、余り叩かれなくなっていた。 虐めは、ほとんどしていない。ほとんどというのは、相手の 感覚だから知らず知らずのうちにしてたかもと言う意味だ。 何より、この頃から生まれたもう独りの自分と 遭遇していたのだ。 瞳を閉じても開いても見えない自分!? 知らず知らずの内に…。
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