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子供の頃の悪さは、だいたい無造作にしてしまっている。
用意周到に綿密な計画など、考えもしない可愛らしく素直だ。
勿論、叱るが「良いか悪いかを行動する前に考えなさい」と
教えもする。私はヒネていたのかも…。素直な悪さもするが、
心の中で解っていてする悪さがあった。もう独りの自分との
葛藤!! 対話しているのだ。自分と自分が!?
悪いことはいけない。でも心の中で「出来ないのか?根性
無し!!」と挑発する。それにも答える「駄目だろう。」と
「怖いんか!?弱いのォ!!」こんな感じで…。
「まぁ良いかな。ちょっとだけなら。」までだいたい続く。
と言うのも、今思えばこの相手が出てくる時悪い事をするのが
前提で、止めるのは建前のような感じだった。
でも、やりとり事態真剣にやっていたのだ。普段から、誰も
居ないときも自分と対話していたと思う。
独り言ではない完全な対話。落語のように…。
究極は母親に怒鳴られている最中、猛スピードで喋っている。
「どうするんや?此は隠せよ!早よ言わんか。ここで謝れ。
何足しびれとんや」など好き勝手言いたい放題、母親の言葉の
意味も聞き取りながら忙しい。母親が「解ったんか!?」
すかさず「解った。」と答え、心の中では
「もう終わるぞ。やったな。」
「7時に間に合う!?マンガ、観れるわ!?」って
母親に「何が解ったんや!?」と聞かれて、「何やったっけ?」
「えぇ!?聞いてないんか? 早よ答えよ。」
「だって解らんのに。」とやっている自分。
どうしようもなく目は泳ぐし案の定、母親にまで
「聞いてないんか!?」と言われまた再開。
「何しよんや。」「もう始まるやん。」「うるさい。」
「また分からん様になるやろォ。」と続く。
忙しい所の騒ぎではないが、当たり前のようにやっていた。
怒られたことに反省もしていたが、独りで怒られている気は
しなかった。それが当たり前で、普通のことだと思い毎日生活
していた。良い協力者の時もある。人に出来ることは自分にも
出来るはず。お爺さんの言葉だが「五体満足な身体で同じ相手
なら大体同じ事が出来るだろう。」初めから諦めるなと言う
教えだった。それと同じ様に、特にスポーツでは一生懸命に
挑発してきた。いい結果を、演出してくれたことも、事実だ。
水泳なんか「死なへん。」がメインだったかな。
だけど、1度も会うことは無かったし、瞳を閉じても
1回も浮かばなかった…。最近じゃあ、出て来もしない。
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