また、瞳を閉じてみる

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 卑屈。 この言葉が、当時似合っていた。 境遇も、学校での立場も何もかも歪む。母親が再婚、妹と弟が 出来た。年の離れた可愛い2人だ。風呂も入れたしオムツも 替えた。面倒は結構見ていた。お陰で、我が子の時に戸惑う ことなく役に立った。良い子供を演じようとあの頃は必死で 頑張っているつもりなのだがどうしても何処か抜けていて その度に悔やむが幾度も同じ事で怒られる。いい加減理解 すれば良いのに、出来ない自分に嫌気も差す。母親に怒られ ながらも、逆らう事はなかった。よく言われたのは 「お父さんに恥をかかすな。迷惑をかけるな。」だった。 自分でも解っていたし、ワザと怒られる事はしてなかったから 戸惑う。ある晩、4畳半の自分の部屋で悩んだことがある。 「お母さんを怒らす自分は、駄目だ。居なくなれば、怒らずに 済むのでは!? 居るから駄目なんだ。死んだ方が良いのでは!? 飛び降りようか!?」4階の欄から下を眺め、真剣に悩だ。 「飛べるんか!?」「無理やろぉ!?」「でも、これ以上迷惑は!?」 「アホやからなぁ!?」「死なな直らんか!?」「怖いなぁ。」 いろんな事が頭の中を駆け巡る。母親に怒られる時よく 「頭かち割って脳みそ見たろか!?」って言われたが、 落ちたら「脳みそでるかなぁ。」って、考えたりもした。 「瞳を閉じて一気にいけば、大丈夫かなぁ。」 「でも、やっぱり怖いなぁ。」結局怖くて、飛び降りられ なかったけど子供ながらに本気だったことは間違いない。 産まれてきたことを消せたら良いのにとか、楽に死ねたら いいのにとか結構悩んでた時期だ。愛情の深さよりも上辺に 近い在り来たりの慰めしかまだ解らない未熟な小さな心には 過酷としか言いようのない苦しい日々である。しかしその中を 迷いながらも独りでは、生きていけない無力感に苛まれながら 屈辱と絶望を押し隠して取り繕うヒキツった笑顔に誰も 気付いてはくれない。「弱かったから生きている。」のか 「生きているから強い。」のか、当時の私は只毎日を必死に やり過ごしていただけだろう。最近、母親とあの頃の話に なると決まって「私も、必死だったわ。」と苦笑している。 劣等感を感じる私に「苦労をかけ可哀想なことをした。」 「ごめん。」って言って謝る。あの頃母は、どんな事が あってもどこかで私に許されていると思っていたらしい。 あの癇癪玉のような母親が今では理解力のある 優しいお婆ちゃんだ。孫達が羨ましい。
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