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「先輩、まだいたんですか」
あきれたように呟く彼女の目は、赤く腫れていた。
「だれもいないと思ったんですけどね」
彼女は目をそらしながら近づいてくると、僕の隣に椅子を引き出し腰掛けた。
学校特有の無愛想な椅子と、二人の学生。
不思議と雨の日の調理室には似合っていた。
「出てこうか?」
「……先輩が気を使うなんて、らしくもないです」
その指摘ももっともだったので、僕は大人しく口を閉じると、左耳にだけはめたイヤホンに手をあてた。
右耳からはザーザーという雨音だけが響いてくる。
ちょうどポップな曲が終わったとき、彼女が口を開いた。
「カエルって元気ですよね」
窓を眺める彼女の呟きに、「そうだな」とだけ返事をする。
イヤホンを外すと、グワーグワーと騒々しい音が耳に届いた。
「カエルの歌とか言いますけど、こんなうるさい音、どう聞いたら歌になるんでしょうね」
「それが風流だと思ったんじゃないの。昔の人はさ」
「カエルに夢を見すぎですよ」
彼女はカバンから水筒らしきものを取り出すと、くるくるとふたを開けた。
ふわりと和風な香りが漂う。
「先輩、一口いかがです?」
彼女の差し出すピンクの水筒からは、まぎれもなく味噌汁の香りがした。
「わたしのお手製味噌汁です。まだ温かくて、おいしいですよ」
「どうして僕に?」
そう言ってから、「この返事は失敗だったな」と思う。
「わたしたち、料理研究部ですからね。それに……だれかにおごりたい気分なんです」
まだうっすら腫れている目を隠すように、素っ気ない素振りで水筒を突き出した。
僕は何も言わずに受け取った。
「便利な水筒だね」
正直な感想を口にしたつもりだったが、彼女にはどこかがおもしろかったらしい。
クスクス、と雨にかき消されそうな大きさで笑い始めた。
「先輩、それ水筒じゃないです。弁当箱の一種ですよ」
思わず赤面する。
「へえ、それは初耳だな」
そう言うと、頬の赤みを隠すように、僕は急いで器に口を近づけた。
口の中に懐かしい味が広がる。
「……これって、あさげ?」
「わたし特製のあさげです。お湯を沸かすところから作りました」
そう言ってにやりと微笑む。
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