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「デカダンス? 何それ」
予想とは違うだろう僕の反応に、彼女はしばらく目を白黒させていた。
「えっと、デカダンスは退廃的とか病的な、という意味でして……。簡単に言うなら、先輩みたいな人の生活のことです」
「踊り、じゃないんだ」
「……ですね」
「もしかして、踊りのダンスと、デカダンスをかけたダジャ……」
「ちがいますっ!」
それ以上つっこむと、怪我しそうなのでおとなしく口を閉じる。
「でも、僕の特技は本当にダンスだったよ。ジャンルはヒップホップ」
「……酔っ払いの妄言は、信じられませんね」
「今日はまだ、飲んでないよ」
「じゃあ、先輩の言葉は信じられません」
にべもない言葉に、僕は苦笑する。
「先輩、“今”はどうなんです。ヒップホップ、踊れないんですか?」
「そうだね。今はもっぱらデカダンスかな」
「……それはもういいです」
ふと、会話が途切れる。
なんだか雨がさらに強くなっている気がした。
「僕もちょっと話していい? つまらない昔話なんだけど」
「……本当に珍しいですね」
確かに昔話なんて、自分でもがらにもないことだと思う。
きっと、この雨のせいだ。心まで湿っぽくなっているにちがいない。
「僕は小さな頃はダンスが大好きだったんだ」
「……今は?」
「今も好きだよ。まあ、踊る方から、見る専門になっちゃったけど」
「……」
申し訳なさそうな顔をする彼女に「気にしなくていいよ。僕が言い出したことだし」と声をかける。
「イストワール劇場って知ってる?」
「一度だけ、行ったことがあります」
「そう。なら話は早い。……僕はその舞台で踊ったんだよ。いや、踊るはずだった、というべきかな」
「イストワール劇場で、ですか」
「ああ。スゴいだろ?」
僕は静かに微笑んだ。でも、彼女は静かに目をふせていた。
「本当に踊りきれたなら、もっとスゴかったんだけどな……」
「火事が……あったんですよね」
まるで通夜に参列しているかのような声音で、彼女は呟いた。
「そう。そこで足を怪我してね。日常生活に問題はないけど、運動はできません、って感じ」
「……」
あまりにも重苦しい雰囲気に、この話題は失敗だったかな、と僕は思う。
でも、もうどうしようもない。一度開いた口は閉じれなかった。
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