第一話 始まりはその街から

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「ディオン候のフローラ姫は、もう随分と長い間、体調を崩して療養していらっしゃる。お体の弱い方だそうだから、もうお子は難しいだろう。一人息子のウィリアム王子までなくして、お気の毒なことだが……」  異国の后妃に向かって、少し同情口調で語る。  サン=フレイア王国の第一王妃、フレイア島の名門ディオン侯爵家の一人娘は、若い時分はその優しげな美貌が、聖母エレアノーアの再臨とまで讃えられ、その名が大陸中に轟いたこともあるらしい。  彼ら程の年代の男たちにとっては、憧れの的であったのかもしれない。  現在はエルドラドの王女、白雪姫が似たような立場にあるのだろう。  若く美しい女性に魔性や神性の偶像を押しつける人々の俗気は、暗黒時代の始まりが、大国の王を堕落させた傾国の美女の業であるとする神話の時代から、変わることはない。  すると、先程から率先して話を引っ張っていた男が、一段声を落とした。  「これは中央高官から聞いた確かな筋の話なんだが……元老院で、胡散臭い動きが起こっているらしいぜ」 「元老院で?」  釣られて、聞き手にまわっていた男も声をひそめる。  ヴァンはおもむろに立ちあがり、大通りの端を歩き出した。  噂話に興じる酔っぱらい達が、道行く通行人たちを警戒する様子はない。  ゆっくりと近づきながら、通りすがりを装い、男たちが座るテラスの横を通り過ぎる。  もったいぶる様に、耳打ちするような仕草をした男の――実際は、酔いも手伝ってそれほど小声ではなかったが――声が聞こえた。
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