懊悩山

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懊悩山

 何年振りだろうか、存在すら忘れかけていた雪が中空を無尽蔵に降り乱れ、野山の木々を白く塗り潰す景色を見たのは――嗚呼、そうだ。其れは確か五年前の、彼の冬だ。不可思議な、気持の悪い名残を私の胸に残して去ってしまった彼の冬は、こんな風に凜冽で、歩けば氷刃で突かれるように肌が痛む。空は死人のように蒼褪めて、縹緲と皚皚の景色が打ち続いていて、野山の其所彼処で厭世の香りが漂いはじめる――  私の暮らしている山麓では誰一人其れらしい人間は見当たらないが、冬の時分に山の奥へ行くと、小さな簡易テントが木下に闃として態を潜めており、其のテントのなかから餓死した死体が見つかることが多々ある。  いや其れだけではなく、何故だか知らないが冬になると此の野山で飛び降り自殺をする人間が増え、振り向けば縊死体がぶら下がっていた、なんてこともざらにある。たとえ自殺に限らなくとも、興味本位で入って行き、帰り道を忘れ、野垂れ死ぬ人間も少なくない。  だから地元の人間は此の野山のことを死骸山と呼んで恐れている。進んで毎日入りたがる人間なんて、私くらいだろう。
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