懊悩山

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 其の踊りに見覚えのある私はと胸を衝かれ、近くの樹陰に身を隠すと、雪のなかで無垢に踊る女の影に視線を向けた。  私の存在なぞ露知らず、愛らしい声を張上げ、全裸かと思うほどすらりとした四肢を乱し、灰色の煙のなかで踊る女――一体、どういった素性の女なのだろう。見たところ、厭世の徒というわけでもない。  謎は解けそうになく、時は瞬く間に過ぎて、陽は落ちた。寒夜の風は頬を撫ぜ、躯は震え出す。そろそろ帰ろうかと思う間も女は、灰塵に帰そうとする炎のように、刹那の沈黙すら惜しむように踊っていた。  女を残して家に帰ると、二階の窓から、雪山を見た。  雪山は未だ煙を吐き続けている。厭世家を呑み込む雪山は仄かに火照り、煙の臭いが此処まで届いた。  彼の煙が、段々と大きくなっている。燃えていた炎が、側の木々に移ったのだろう。或は、彼の女が油でも撒いたのかもしれない。どちらにしろ、山火事だ。何かしなければならない。  然し、どうにも私の躯が動こうとしてくれない。燃え行く雪山を視線に捉えたまま、一指にして張り付いたように動かない。  そうしていると、彼の女の姿が頭のなかに浮かんだ。すると急に眠たくなって寝台に飛込むと、幾分もしないうちに意識を失ってしまった。  目覚めると、煙と炎は消えていた。然し焼け跡は雪山の真中に黒い爪痕を残している。  私は外套を羽織り外へ飛出すと、彼の女がいた場所まで歩いた。  然し、私の予想していたものはなかった。  彼女が逃げたのか灰になったのか、それすら判然としない。気持が悪くなった私は、灰と焦のなかで彼の女の姿を探し歩いた。けれど、彼の女の姿はついに見つからず、陽は傾いて、私は自分の家に戻った。  今でも、不意に彼の女の影を認める気がする。何処からか、楽しげな女の哄笑が――殊にこんな雪の降る日には、亦彼の赤いテントが、ひとりの奇怪な女を胚胎した燃え盛る炎のように赤いテントが、山の奥で態を潜めているような、そんな気がするのだ。
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