第十八幕 沼神

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沼宿町がまだほんの小さな農村であった、数百年も昔のこと。 村全体を取り囲む山々や自然の恩恵を受け、その地に根付こうとしていた土地神の端くれ、この当時は水田に潜む小さな小さな一匹の有尾類に過ぎなかった沼神は、水路や水田に生えた水草に身を隠しながら、農作業に明け暮れる村人たちを眺め、日がな一日を過ごしていたという。 まだ栄えていない村だった為に、人手は傍から見ても足りておらず、時たま猛威を振るう自然に村人らは不憫なほどに苦戦を強いられることもあった。 今でこそ技術が発達して持ち直しも簡単にいくものの、この時代では全て手作業、失敗してはやり直し、その繰り返しが当たり前だったのだ。 それでも村人たちは、何度失敗してもめげずに、弱音も吐かず、自然に負けぬくらいに根気のよい働き者達で。 そしてなにより、豊かな土地で育った彼らは共に助け合い、皆朗らかで、ひたむきで、心の優しい者が多かったという。 どんなに小さな命でも粗末にしたり、虐めたりすることはなく、沼神も何度か彼らの心遣いに触れたことがあった。 足場を探して水田に浮かんでいると、大人たちは手のひらに掬い上げ、水草に掴まらせてやり、体が乾かぬようわざわざ水を掛け。 子供たちは鴉に食われそうになっていた所を捕まえて、緩やかな流れの綺麗な水路に逃がしてくれた。 人間にとっては気に留めるほどのことではなくても、まだ神に昇格しきっていない未熟な有尾類にとってはそれが嬉しかったのかもしれない。 『気のいい連中だった、だから儂もこの地に根を張ろうと思ったのだ』
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