プロローグ「始まりの歌」

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その歌声は今まで感じてきたものの中で最も美しい、とロイ・クロスベルは感嘆した。  辺りには大聖堂のステンドグラスの如く大きく張り巡らされていたガラスの大半は砕け散り、上質な石灰岩を加工し、敷き詰めた床も見るも無残な姿になっている。ここは彼の母国の中心地。王宮の玉座の間。その成れの果てだった。  剣は折れ、力も尽きた。最早己を奮い立たせるのは鋼の意志しか残っていない。しかしかし、戦う必要は既に無く、彼はくつろいだ姿勢で座り込み、歌声に耳を傾けている。  そんな騎士の様子を見て、澄んだ声で楽しげに歌い続けるのは一人の少女だ。白い衣服を身に纏い、怪我の一つも負っていない。戦場と化したこの場に居合わせた身としてはかなり不自然であった。ただ一点を除けば。 仄かに青白い燐光を発する刻印。それが彼女の体を埋め尽くしていた。頬から手の甲、足先にいたるまで。一見、禍々しく、痛々しく映る彼女の姿だが、ロイは恐ろしいと感じたことは無かった。呪いではなく、祈りの力であると理解していたからだ。 この世界では意志は魔法という形をとり、人を生かし、そして殺す。彼は彼の思うまま、彼女の剣にも盾にもなった。後悔はしていない。待っている結末が抗えぬ運命だと理解していても。 彼女の歌が終わると、ロイはゆっくり立ち上がり、スカートの端を摘まんで可愛らしくお辞儀をする彼女に惜しみない拍手をした。足元に転がる瓦礫を避けつつ、彼は歩み寄る。 「ねえ、ロイ。どうだった? 私の歌」 「素敵だったよ。とても」 父親に褒め言葉をねだる子供に似た口調で彼女が尋ねると、素直な感想をロイは正面から伝える。「ありがとう」という反応を彼は期待していたのだが、予想は裏切られた。何も言わず、ただ目に涙を溜めこむ彼女。 別れ。その言葉がロイの頭の中を過ぎる。忘れていたわけではない。最期のほんの少しの時間だけでも、ささやかな幸せに浸りたいがために目を逸らしていた現実。気付けば、彼は衝動的に彼女を抱き寄せていた。 琥珀色の瞳から零れる涙を幾ら拭っても溢れてくる。ああ、そうか、と彼は自分の目元に指をやった。ほんのあと一つ、障害を取り除けない無念の発露。彼も泣いていた。だが、悔恨の情にかられたところで何も変わりはしない。荒廃した世界を、放置したままにしてはいけない。 世界再生。それが彼女に課せられた最後の使命だった。
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