自宅にて

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「父さんと一緒に、母さんの墓参りに行かないか。今度は電車だ、何の心配もない」  少女は男と視線を合わせない。椅子の下からのぞく紺のハイソックスを履いた足が、時おり床をこするようにわずかに動く。男の口はそんな彼女に何かを言おうとしてはすぐに閉じ、意図しない長い沈黙を作りだす。次の言葉が発せられたのは、少女がノートのページをめくる小さな音が聞こえてからだった。 「これまで、いろいろ忙しかったしな。けど、明日から会社も休みに入るんだ。残業もない。どうだ由夏、父さんと二人だけで母さんに会いに行ってみるってのは」  いくら声色を明るくしてみても、少女が振り返らないことはわかっている。最近はむしろ、そのほうがいいとさえ思えるようになっていた。能面のように無表情な顔を見つめるのは、男にとっては罪悪感を助長させるものでしかなかった。 「ほら、母さん寂しがってるかもしれないぞ。由夏に会いたいって、さ」  少女はまるで何も聞こえていないかのように、カリカリと音を立てて書きものを続けている。鍵のついた引き出しにしまわれ、一度も中身を見たことがない日記帳。そこに何が記されているのか。深く考えるのはやめて、男はすぐに明るい口調で少女に話しかけた。 「行きたいよな。よし、そうと決まったら早速明日出発だ。あっちのおじいちゃんとおばあちゃんにも行くって連絡しちゃったし、もう後には引けないんだからな。ちゃんと荷物、まとめておくんだぞ」  いつものことだ。提案や質問には何も答えてくれないが、俺の言葉にはきちんと従ってくれる。心配することはない。安田公一は自分の心に言い聞かせながら、部屋の前を去った。壁に立てかけてあった通勤鞄を手に取り、居間の冷めた一人分の朝食に目を向けてから、外へ出て職場への道を歩き始めた。
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