電車内にて

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「夏休みの宿題、どれだけ出たんだ? 大変だったらいつでも父さんが手を貸すぞ」  カタン、コトン。眠気を誘うように小刻みに揺れる電車の中でも、公一はつとめて明るく声をかけることを忘れない。たとえ返事をしてくれなくとも、一方的なコミュニケーションであっても、公一は血を分けた実の娘とのつながりを感じていたかった。 「この前持って帰ってきた『希望』の習字、先生に褒めてもらったんだってな。父さんもすごく上手だって思ったよ。由夏にはきっと才能があるな、うん」  当然ながら、返事はない。向かいの座席に座った娘の由夏は、麦わら帽子と白いワンピースという夏らしい薄着姿で外の景色をながめている。時おり長いまつ毛がしばたいていなければ、目の前にいるのが精巧な人形なのではないかと錯覚してしまいそうになる。 「それにしても今年は暑いなあ。父さんが子供のころはこんなにじめじめしてなかったと思うんだが」  そう言って由夏の表情をうかがうが、相変わらず彼女は公一のほうを見ようとはしない。結局、何の収穫もないまま、彼は車内アナウンスで目的地が近いことを知った。 「さて、もうそろそろ駅に着くぞ。降りる準備をしとけよ」  つとめて元気にふるまおうとする公一の正面で、由夏は最後まで緑に覆われた外の山々をながめていた。無表情な顔が、窓ガラスに映った公一をじっと見つめていた。
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