16人が本棚に入れています
本棚に追加
幽霊妻
幽霊妻
大阪圭吉
――じゃァひとつ、すっかり初めっから申し上げましょう……いや全く、私もこの歳(とし)になるまで、ずいぶん変わった世間も見てきましたが、こんな恐ろしい目に出会ったのは天にも地にも、これが生まれて初めてなんでして……
――ところで、むごい目にお会いになった旦那様のお名前は、御存知でしたね……そうそう新聞に書いてありましたな。平田章次郎(ひらたしょうじろう)様とおっしゃって、当年とって四十六歳。いや新聞も、話の内容はまるで間違ったことを書いてても、あれだけは確かでしたよ。N専門学校の校長様で、真面目(まじめ)すぎるのが、かえってたった一つの欠点に見えるくらいの、立派な厳格な先生様でございました。……ところで、今度のことが起きあがるしばらく前に、御離縁になって、お気の毒な最期をおとげになった、問題の、夏枝(なつえ)様とおっしゃる奥様は、旦那様とは十二違いの三十四におなりでございましたから、この方がまた、全く新聞に書いてあった通りの御器量よしで、そのうえお気立てのやさしい、よくできたお方でした……こう申しては、なんですが、二年前にこの老耄(おいぼれ)が、学校の方の小使を馘(くび)になりました時に、お邸の方の下男にお引き立てくださったのも、後で女中から聞いたことですが、みんな奥様のお口添えがあったからでして、なんでも、旦那様はどちらかというと、口|喧(やかま)しいお方でしたが、奥様は、いかにも大家の娘らしく、寛大で、淑(しと)やかで、そのために御夫婦の間で口争いなぞこれっぽちも、なさったことがございませんでした。
最初のコメントを投稿しよう!