可哀想な姉

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 5  ――姉さん、どうしたのです?」  姉は、さも憎々しげに私を睨みつけながらうなずいていた。  ――オマエ、ヒゲヲ、ハヤス、ツモリカエ?」  ――だって、僕はもう大人になったのですから生やしたいのです。」  ――オトナハ、ワタシ、キライダ!」  ――そんなことを云ったって、無理ですよ。僕は大人になって、姉さんを広い家に住まわせて、仕合せにして上げようと思うのです。」  ――イイヨ。カッテニ、スルガイイ。ワタシハ、アノクスリヲノムカラ!」  ――薬ですって?」  姉は首を横に振って、机の上の黒い本を開いて見せた。  ――ダイナマイトは、また、食べることも出来ます。」  私は姉のザラザラな粗悪な壁土のような頬に接吻した。  私はそして、姉の見ている前で、剃刀を研いで、うっすらと生えかかって来た髭を剃り落としてしまったのだ。  だが、――またその翌日の夕方になると、私は姉の後姿を窓から見送って、それからさて、れいの並木の方を眺め渡すのであったが、女はその言葉通りあの夜以来とんと姿を現わさなかった。男の姿も――あの男は、あの夜五分遅れてやって来て、彼女に思いがけない私という新しい恋人の出来たことを見てしまったのでもあろうか、とにかく再び姿を見せなかった。  並木の上に月が出ても、甃石へうつる影は並木ばかりであった。  私は窓の縁に、深い溜息をついて、もう決して髭を剃るまいと心に誓った。
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