第三章

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テレビの前で、智樹はブーツカットのジーンズにジャケットを羽織りながら言った。 「悪い、今日早番だから先に行くわ」 由衣は食器を洗いながら「そうだっけ、わかったー」と智樹を見る。 智樹が玄関に向かう進路を突如変えた。そのまま由衣のもとへ来て寄り添うと、由衣は目を閉じて顎を上げた。 唇に感じる智樹の体温で、昨日から身体に染みついていた緊張が解けてゆく。知らず知らずのうちに智樹の舌を求めて背伸びをすると、「タイム、タイム」と身体を引き剥がされた。 「仕事に行けなくなっちゃうからさ」 「うん、いってらしゃい、気を付けてね」 智樹はそのまま玄関へ向かって、リビングを出て行った。 誰もいない部屋で、夢心地のまま洗い物の続きにとりかかった。 ほんの数秒のキスなのに、身体はもとより指先までもが火照ってしまっている。むずがゆい下半身を、太腿を擦り合わせて誤魔化した。いつしか鼻歌も交じりはじめ、頭の中はシャボンの泡が舞い始める。同じように泡だらけのスポンジを目的もなくただ動かしていると、ふと気づく。 引き扉が、開いてる。 智樹が開けたのかな。 そう考えて記憶を遡ってみるが、智樹が寝室に入る姿は見つからなかった。 手についた泡を洗い流して、引き扉に近づいてみる。 隙間から見える寝室はもちろん明るくて、奥にベッドが見えるだけだ。 カカ。 引き戸の向こうで音がした。 何かを擦り合わせているような、爪が引っかかるような音。 何の音かしら。 扉に手をかけるとまた、 カカカ。 昨夜の記憶が染み出してくる。 「誰も、いないわよね?」由衣の願望が言葉で出た。 それを否定するように、 カカ。 由衣はグッと力を込めて、引き戸を開けた。 陽射しの差し込む部屋には、特に変わったことは見当たらない。 恐る恐る一歩を踏み出すと、 「いっっっったい! 痛い! 痛い!」 由衣は片足を上げて跳ね回った。 「誰よ! こんなところに!」と摘まみ上げた物は赤いゴムバンドで、ピンクのプラスチックのリボンがついている。 まじまじと観察する由衣。 「浮気?」 由衣は少し考えてから「よし、見なかったことにしよう」と頷いた。
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